幸せ地球ライフ

ありのままの自分で幸せに生きる日常を綴ります(^^)日常の気づきのほか、海外、旅、猫やその他の生き物、自然との感動など、ありのままの自分が感じる感動や幸せ、気づきを皆さんとシェアできれば嬉しいです(^^)♡

初めての田舎暮らし。ログハウスをリフォームしました。

f:id:niziironohikari:20231218220052j:image皆さまご無沙汰しておりました。

これから私の経験した田舎一人暮らしの様子を、このブログにて記していこうと思います。

 

2022年5月から季節を一巡して、季節によって様々な田舎での暮らし、ログハウスのメンテナンスなどへの必要な気づきと学びを得ました。それらをここに記すことで、田舎暮らしやログハウス暮らしをしたい方たちの参考になれば嬉しいと思い、このブログに書き残すことにしました。

 

両親が幸せに暮らしていたログハウス。私が引き継ぎ、住みながらメンテナンスを始めました。その間、アトリエサロンとして暮らしました。

 

f:id:niziironohikari:20231217155257j:imageログハウスへ引っ越す前に、キッチン、トイレ、風呂をリフォームして、新しく階段を取り付け、窓を全てペアガラスのアルミサッシに作り替えました。
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母が大切に手入れしていた庭や家まわりの木々は好き放題に茂るか、枯れてしまっていました。通いでメンテナンスするには限界があり、ログハウスに引っ越してメンテナンスしながら暮らすことにしました。

快適に幸せに暮らせる家にしたいと思い、水回りの他にも、雨風はもちろん、なるべく虫が入らないようにリフォームしました。

玄関も入り口や階段など新しく作り直して、駐車スペースも作りました。

こうして基本のリフォームをして、2022年5月にログハウスへ引っ越しました。初めての田舎一人暮らしの始まりです。

f:id:niziironohikari:20231217160631j:imageキッチンは業務用ステンレスに替えました。レンジフードも新調。IH用のコンセントも新設。
f:id:niziironohikari:20231217160634j:image屋根裏の天井を補強し、階段周りに柵を設置しました。左上にある丸いのは火災報知器。このあと冬にストーブの薪を入れすぎて家中煙だらけにして鳴らしました。。その話はまたいつか。

f:id:niziironohikari:20231217161358j:imageこのストーブは、両親が設置したけれどほとんど使っていなかったもの。

 

さあ、ここから。右も左もわからない田舎での一人暮らしの始まりです。どうなることやら、不安とワクワクでいっぱいな私でした。

 

ツーリングやキャンプも好きで、自然LOVEな私なので、ここは天国?と思う毎日。そして田舎での女一人暮らしの限界や心細さから心が折れそうになったこと数回。ご近所の皆さんのあたたかい励ましと支え、自然との交流などがあって、田舎での四季を味わい幸せな日々を過ごしました。

それらのことを、これから少しずつ記していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薪ストーブ始めました

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アトリエサロンには、薪ストーブがあります。

先日、ここにきて初めて一人で薪に火をつけました。

その後それから何度か挑戦しましたが、小枝などには着火してもそこからなかなか薪にまで火がまわらず消火してしまうばかりで、半ば諦めていましたが、今、家周りにあるススキの枯葉を乾かしたものをたくさんストーブに入れてみたら、薪にまで火が着きました!

 

慣れた人には、なんということもないことだと思いますが、今まで自分で出来なかったことが一つ一つ身につくのは、嬉しくて自分の心が元気になり、おおげさかもしれないけど、自尊心が少し成長するように感じます。

 

昨年6月からこちらへ引っ越して、実家と行き来しながら田舎暮らしに挑戦してきました。

春、梅雨、夏、秋と、それぞれの時間に初めてのことがたくさんあり、わからないことや慣れないことばかりで時に嫌になりながらも挑戦して一つ一つクリアしてきました。それらの出来事はこれからゆるゆるブログに記していこうと思いますが、今はここでの初めての冬を満喫中です。

自然と人の共存、身に沁みて体験中です。

 

#田舎暮らし #薪ストーブ #癒し #自分らしく

 

想いのままに

 

 


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皆さま新年明けましておめでとうございます🎍
旧年中は大変お世話になり誠にありがとうございました。
皆さまの益々のご健勝を心よりお祈り申し上げます。

おかげさまでアトリエサロンも整いました。
皆さまお気軽にお越しいただければ幸いです。

アトリエサロンHealng art snowyともども、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

今年は、今までの旅の記憶や資料をもとに、思うまま制作して参りたいと思います。
作品とともに、皆さまとお会いできる機会を楽しみにしております。

#healingartsnowy #healing #healingart #healingsalon #healingsalonsnowy #art #あけましておめでとうございます #ヒーリング #ヒーリングサロン #ヒーリングサロンスノーウィ #happynewyear

今ここに記す幸せ

このブログをお休みしている間にも、様々な出来事、出会いや別れがありました。私自身の心と身体も様々な変化がありました。それらを経ての今、この星に生きる幸せを味わおうと思います。

幸せを見つけられる心、幸せを感じられる心、幸せを創ることのできる心、それは今ここにある私自身から生まれるものです。

 

先日、施設にいる母とSNSのビデオ通話にて面会をしました。

私は以前母が暮らしていた郊外にあるログハウスからの通話で、画面越しに母の暮らしていた部屋や家の外観、庭を見せました。それは母が暮らしていた頃に大切に手入れをしていた家と庭です。今は私が手入れをしてアトリエとして使用していますが、大きく見た目は変わっていません。けれども母は、それが以前自分が大切に手入れして暮らしていた家や庭だということがわかりませんでした。私が家や庭を映して「ほらお母さんが大切に手入れしていた庭だよ。」「外観を見たら思い出すかな?ほら、ログハウスだよ」などと話しかけても、怪訝な顔をして画面を見ていました。

私のことも面会のたびに「どちらさんでしたかね?」と尋ねます。

 

それでも母は、ビデオ通話に映るバルコニーに咲くシクラメンの鉢植えや部屋に飾ったクリマスツリーの飾りを見て「綺麗だねえ」と笑顔がこぼれ、私のことも覚えていないというのに「あんたは全然変わらないねえ」と笑っていました。

 

病院や施設にいることが常となった頃、「あの家はどうなっている?」「あの家に帰れるのはいつ?」と私によく尋ねていました。

母が元気でこの家に暮らしていた頃は、父と二人で家や庭を一生懸命手入れしていました。植木も自分で剪定して、薔薇や紫陽花、ムクゲサルスベリ秋明菊や季節の花々、実のなる柿や梅の木など、様々な草木の手入れをして見事な庭を作り上げていました。

そして私たち家族に常々「この家は手放してはならない」と話していました。

私のことも、私が幼い頃はもちろん、成人してからもずっと、私が母の思い通り、指示通りに動かないと気が済まないで小言を言ったりキレたりしていました。

 

そんな母でしたが、今は大切にしていた家のことも私もことも忘れているようです。

物事にこだわりの強い母でしたが今は、ずっとこだわってきた物事の一つ一つを忘れ、つい五分前のことも忘れたりし、母は今の瞬間の幸せに生きています。

 

そんな母ですが、私のことを忘れてもいつも言うことは「ちゃんと生活できているのか、元気で暮らしているのか」「体に気をつけて」ということです。

記憶はなくても母の性質はなんら変わることなく、今起こることに対しての心や身体の反応は、母のそれです。過去の記憶や未来へのこだわりが消えても母の性質や思考は変わることなく、その母のまま今を生きています。

 

人の過去は記憶の中に、未来は思考の中に存在します。そして一つの事象に対しての真実は人それぞれであり、過去や未来はその人の心が現実や物事をどう捉えるかにより決まります。記憶はいずれ消えゆくものだとしても、過去の経験や想いから生み出された意識が、今に続く日常を創っています。そして今まで生きてきた自分の言動によって得た物事や人間関係も「今ここ」につながっています。

 

その意識の中にある過去も未来も、そして今ここにある自分も、自分の思考や感情が生み出したもの、つまりは心が感じ認識したものに基づいての価値判断が生み出したものだとしたら、私はその価値基準は幸せに基づいたものでありたいと思います。

 

 

幸せを見つけられる心、幸せを感じられる心、幸せを創ることのできる心で、私を含めた一人一人それぞれが自分らしく健やかで幸せに生きる日常であることが、私の幸せであり、その日常が世界に拡がることを心から願っています。

 

私の、そしてあなたのこれからの日常が健やかで幸せな毎日でありますように、、、

 

 

今ここに生きる幸せ

先日久しぶりにブログを書いてから、今までのことを振り返っていました。そして、他者へのこだわりを手放して、この星に生きる幸せにあらためて想いを馳せました。

 

今の私は、この星の人々をはじめとする様々な存在とともに生きることが嬉しく、幸せです。

それは私が、本来の私で本望の幸せに生きる日常にシフトしたから。でもそれは、私が完璧な人間になったわけではなく、ただあるがままの自分を受け入れ、その自分の幸せを選択できる私になったということです。

私はあるがままの自分を尊重し、生きる喜びをみんなと分かち合いたい。それが現在の私です。

 

ここに至るまでに様々なことがありました。その一つ一つの出来事に揺れる自分の心と向き合って、不要な気持ちを手放していきました。そして今は、この星に生きる一瞬一瞬の幸せを味わっています。その幸せをみんなと共有し、それぞれが自分らしく生きる幸せを喜び合っていきたいと願っています。

 

そのためにこれからは、私の感じたこの星での幸せを写真や制作した作品とともに短い文章とともにブログでシェアしていきたいと思います。

またもし、皆様からの質問などをコメントいただければ、それをお題にしてブログでお話ししたいと思いますので、お気軽にコメントをいただければ幸いです。(コメントは承認制にしていますので、公開不可の場合はその旨をお知らせいただければ、公開いたしません)

この星に生きる喜び

暖かな風の吹く、みなさんの心に寄り添える心通うブログになることを願っています。

 

 

 

 

 

 

新しい気持ちで

皆さまいかがお過ごしでしたでしょうか?

大変ご無沙汰をしておりました。

私は昨年秋に父をおくり、新天地にてHealing art snowyを開設し、新しい生活を始めました。コロナ禍のおり、皆さまも様々と日常や人生に変化があったかと思います。私もブログを更新できずにいましたが、その間に諸々の事柄や変化がありました。

また新たな日常でのブログをマイペースではありますが再開したいと思っています。

この二年間、ブログの更新はできずにいましたが、時に自分のブログや皆さまのブログを訪れておりました。そして自分のブログをのぞく度、こんなマイペースで更新もしないままのブログをお気に入りに登録したままにしてくださる方々にいつも感謝の気持ちでいました。

お気に入り登録をはずはずにいてくださった皆さま、ブログを見てくださった皆さま、そしてブログ更新をお待ちくださっている皆さまが、この画面の向こうにおられることが、本当に嬉しくて感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます🙏

この二年間にあった出来事や気持ちなどの変化をふまえて、マイペースではありますが、またブログを更新していこうと思います。

ブログを更新できずにいた間に、様々な自分の心境や環境の変化がありました。これからのブログにはそれらが反映されるだろうと思います。

Healing art snowyやその他日常の中でのご縁から得た学びも、このブログや新しく開設したnoteの記事などで公開し、学びを皆さまとシェアしていきたいと願っています。

 

こんな私ですが、また気軽にブログに訪れていただければ大変嬉しく思います。

皆さま今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます(๑・̑◡・̑๑)

2022.12.7 伊東の海にて

たくさんの愛をありがとう

 ご無沙汰していました、久しぶりのブログ更新です。

 昨日、15年間一緒に過ごした実家の犬がなくなりました。

 思いかえせば、私が一番辛い時期に一緒に過ごした家族だったなあと思います。

 そのぶん、大切にしてあげられなかったこともたくさんあったと思います。辛い気持ちをぶつけてしまったこともありました。

 それでも、春にはレンゲ畑で飛び回ったり、桜の下を散歩して花びらを匂いでは桜の花びらを鼻先にくっつけたままこちらを見る姿に、私はとても癒されていました。

 

 彼は何ヶ月か前から肝臓機能が低下していました。けれど最近はそれに合わせたフードを食べて元気にしていました。

 それが一週間前に突然ご飯も水も摂らなくなり急遽入院し、昨日、彼は静かに息を引き取りました。

 入院する前の夜、珍しく私にとても甘えて頭を私の手のひらに押し付けて頭突きしてきた彼。その時私はなんとなく、死期が近いのかもと思いました。彼は私に最期に仲良く楽しく幸せな時間を持たせてくれました。私は彼の愛情の深さを知りました。

 今度出会ったら思いきり甘えさせてあげよう、また一緒に元気に走り回ろうと思います。

 彼は生き物はみんなたくさんの愛を持っている、愛が幸せな時を生むということを、改めて実感させてくれました。

 

 今彼は自由のきかない身体を脱ぎ捨てて、元気に身軽に走り回っています。今の私は涙が止まりませんが、泣いていると「泣かないで、僕は元気だよ、幸せだよ」と側で語りかけているように感じるので、笑顔でいようと思います。彼がくれたたくさんの幸せな思い出と愛に深く感謝を込めて。

 

 

 

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たくさんの幸せをありがとう

 

自分の時間自分の居場所

 「情けは人の為ならず」という言葉があります。一般的にそれは「人にかける情けはまわりまわって自分を助けることにつながる」という意味で認識されることが多いことばですが、それは本来「情けをかけることは自分の幸せでもある」ということだと言われます。

 

 

 こんな話を本人を取材したビデオで知りました。

 

 仕事もなく貧困で若者の犯罪が多発している地域で、そこで荒れていた青年(A氏)が地域のパトロールをし始め、以前の仲間にも声をかけて、グループでパトロールを始めました。

 パトロールをしようと決意したA青年は、初めは自分一人だったパトロールだが、友人をはじめとする地域の若者に一緒にパトロールをしようと声をかけ続けました。

 「自分には無理」「意味ない」「こんな自分が人の役に立つなんてありえない」・・・様々な反応があったけれども一人また一人とパトロールに参加する青年が増えていきました。

 その結果、青年による犯罪が減っていきました。犯罪が減った原因は、パートロールによる犯罪への抑止効果によるものもあるでしょう。A青年は語りました。

 「パトロールを始める以前の友人仲間たちは、”自分はダメな人間だ”と自分を卑下し、自分の人生を諦めていました。

 そんな彼らがパトロールを始めて人の役に立つことを経験し、自尊心を取り戻しました。パトロールをする中で、今まで一緒に犯罪を繰り返していた仲間に声をかけ励まし、地域の人々が安心して暮らせることへ貢献するなど、人の役に立つことで、”自分が人の役に立てる、自分は健全に生きることができる、自分は幸せに生きることができる”という思いを経験し、自尊心を取り戻すことができた結果、パトロールに参加する青年本人が犯罪をすることが日常であった人生から健全な人生へ更生することができたのです。

 貧困地域で犯罪が多発し、仕事をする意欲や前向きな気持ちを保つことが難しい状況の地域に必要な支援は、物資の供給などハード面の支援とは別に、一人一人の自尊心を育てる、取り戻すことが必要なのです。

 自尊心を取り戻し自分の価値と可能性を思い出す、信じることができることが、自立して健全に生きる人生に必要なのです。だから私は、パトロールを通じて一人一人が自尊心を取り戻して、結果として犯罪を減らし、自立して前向きに人生に取り組む人が一人一人増えていくことで、犯罪が多発する貧困地域が人として健全に生きることのできる場へと変わっていくことを目指しています。」

 

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本来の自分らしく生命輝く

 

 ありのままの自分を受け入れ、そのありのままの自分の可能性を信じることで、人生に挑戦する意欲が生まれ、自分を大切に思う心、自分に幸せを与える許可をすることができます。それが本来の自分の自尊心を保つということです。

 そうして本来のありのままの自分の自尊心を取り戻すと、自分の周りの他者をありのまま尊重する気持ちが生まれ、お互いに尊重して生きるためにどうすれば良いか判断することができるようになります。

 

 本来のありのままの自分の自尊心は、通常幼少の頃からの家族関係で育まれるものですが、

家族である親も様々な環境や家庭で生まれ育ち、健全な自尊心を持っていきている場合ばかりではありません。それを自覚している親ならば、それを意識して子育てをするでしょうが、実際にはそのような子育てをする家庭ばかりではありません。

 

 このように生まれ育った家庭環境や今に至るまでの人生での経験から、本来のありのままの自分ではダメだ、もっと〇〇でなければ、社会人として、大人として、親として、男性女性として、〇〇としてetc・・・こうあらねば、こうありたい、こうあるのが一人前の人間だなどと、意識するまでもなく自分に刷り込まれた観念や概念、思い込みの中で、本来のありのままの自分の自尊心をどこかに置き去りにしてしまっていることもあるのではないでしょうか。

 

 「本来のありのままの自分」の自尊心を、当たり前のように保てている人は、自分の人生を肯定的に自信を持って生きているかもしれません。

 けれどもそうでなく「生きたい人生を自分で選択して生きている」「自分の目指す人生を生きている」と思ってその人生を生きているのに、なぜかいつも心や体が元気でない、病んでしまう・・・という人は、「本来のありのままの自分」を大切に思えない、大切にすることができない、「本来のありのままの自分」の幸せを許可できないまたは二の次にして受け取れないまま、「本来のありのままの自分」の自尊心をおざなりにしている場合が多いと思います。

 

 自分が思うように生きているのに、なぜか苦しい、辛い、元気が出ないということが日常なのであれば、それは「本来のありのままの自分」の本望や本意ではなく、「本来のありのままの自分」の自尊心をなおざりにした人生なのかもしれません。

 

 パトロールをすることで自尊心を取り戻した青年たちは、自覚するしないに関わらず本来、自分を大切にして周りと仲良く調和した人生を望んでいたのだと思います。「本来のありのままの自分」を大切にし尊重することができる、「本来のありのままの自分」の自尊心を取り戻すことで、自分自身への信頼や可能性を思い出すことができ、前向きに自分らしく輝く幸せな人生に挑戦する意欲が生まれたのだと思います。その結果、犯罪に走りがちだった人生から、前向きに生きる人生へシフトすることができたのでしょう。

 

 人は思い込みや刷り込みの思考を自分自身の考えや思いであると勘違いしていることが多々あります。それは先に述べたようなそれまで生きてきた人生の環境や経験からであることが多いでしょう。けれども何か違和感がある、心からの幸せを感じることができないという時は、自分の心が本当は何を望んでいるのか、「本来のありのままの自分」を肯定し尊重しているのか、自分自身の心を今一度見直すことが必要なのだと思います。

 

 「本来のありのままの自分」の心がどうであるのか、何を幸せとするのかは人それぞれであり、それを知るのは他ならない自分自身だけであるから、「本来のありのままの自分」の自尊心を持って、その自分の幸せを「本来のありのままの自分」に与えてあげたいと思います。それが自分も他者もありのまま尊重し幸せで調和した世界を生んでいくと信じています。

 

 「本来のありのままの自分」の心から望む幸せや人生を選択すること、自分に与えることは、「本来のありのままの自分」の自尊心を持って、自分を大切にし尊重する人生を生きることであり、その基準で自分の人生の時間や自分の居場所を選択することでもあります。

 

 あなたが心から幸せを感じるあなたの人生の時間はどんなものでしょうか?

 あなたが心から幸せを感じるあなたの居場所は?

 あなたが心も体もリラックスして生命が輝く、本来のありのままのあなたらしく元気で幸せを感じる時間、居場所・・・どこで誰と何をすることが「本来のありのままの自分」を尊重し自尊心を満たすことができるでしょうか?それがあなたの今世生まれてきた目的、今世味わいたい幸せであり、あなたの本当に生きたい人生、本望の人生でしょう。

 

 すべては心から。心こそ大切なれ。

 

 

 

 

自分らしく幸せに学ぶこと働くこと

 

 一人一人の大切な生命をあるがまま幸せに生きる人生、世界の実現を願って、ここに私の思いを記します。 

 

 幸せは人それぞれ

 自分の幸せな時間は人それぞれ

 自分の幸せな居場所も人それぞれ

 今は多様性の時代と言われるけれど

 学ぶこと、働くこと、義務と責任の名において、半ば強制されているような空気の中で暮らしている。

 

 それらは本来、義務である以前に権利であること。

 庶民が、女性が、一つ一つ勝ち取ってきたもの。

 けれどもそれが本来の自分を抑えて生きることにつながり、本当に生きたい日常を選択できずにいる時、人の心と身体は それを拒もうとする。

 それは心身の不調や病というかたちで

 「無理をしているよ」

 「幸せじゃないよ」

 と知らせてくれる。

 

 学ぶこと、働くことは本来、人が「自分らしく幸せに生きるために」求める権利であるのに

 

 

  学ぶこと働くことの幸せは

「学ぶこと」が「学校へ行くこと」と同義に扱われ始めて

「働くこと」が「就職すること」「収入(お金)を得ること」と同義に扱われ始めて

「自分らしく幸せに生きること」のためではなく「学校へ行くこと」「就職することや収入(お金)を得ること」を義務とするような半ばそれらを強制された空気の中で「自分らしく幸せな自分」が息をひそめる日常を生きている人は多いと思います。

 

 本来「学ぶこと」は、自分を護るもののはず。それは権利であり、人々が勝ち取ってきたものであるはず。

 「働くこと」も、本来は自分らしく生命を使って価値を生むものであり、それは各々の幸せな時間を生むことができます。それが働きがい、生きがいというものを生みます。

 

 「学ぶこと」も「働くこと」も、自分らしく生きるため、主体的に自分の思うように生きるために大切なことです。

 

 人権の思想が確立していない時代(産業革命の時代)に「学校」が生まれ、「就職する、働きに行く体制」は生まれました。

 時代は変わります。今、人権尊重の時代、一人一人が自分らしく学ぶことができる、自分らしく働くことができる、そんな社会へ変革する必要がある時が到来しています。

 時代に合わせて社会は変わる。人権の時代に合わせて法律や体制が変わる必要があるけれども、それを待つ間も、子供も大人も自分らしく幸せに生きることが尊重されなければなりません。

 一人一人に合わせた日常を選択することは、個人の心身の健康と幸せを確保するために必要なことです。

 学校や社会の現場でも、様々な学習形態や就業形態が試行錯誤されているけれども、まずは自分自身(子供またはその保護者)が、各々らしく健康で幸せに生きることを選択する必要があります。フリースクールやリモートワークなどが注目される中、本来の学びとは、働くこととは、その意味と意義をもう一度、人権に即して見直すことが必要です。一人一人の意識の変革、その先に法や体制の改変があります。

 

 国民の義務、人権、様々な視点からの意見がありますが、それらは皆、一人一人の幸せのために存在するものです。国や社会組織のために法律や社会体制があるのではなく、人々の幸せ(安全安心健康など人権を護られること)のために、それらがあるのだから。

 

 学校で学ぶことが困難であったり苦痛であるなら、学校以外で学ぶことができる、就職して給与をもらうことだけが「働く」ことではない、ということを今一度見直してみたいと思います。それらの変革は、一人一人の意識の変革から始まります。

  

 大切なのは「学ぶこと」も「働くこと」も、どんな状況であっても、各々が自分らしく元気に幸せにそれらを遂行すること。それぞれがそれぞれらしく元気で幸せな毎日を生きるために。

 

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それぞれが自分らしく幸せに生きるために

 

 自分の生命を尊重する

 日常を生きることで精一杯の時に、そんなことを思案検討、議論遂行することが困難な人もたくさん存在するでしょう。そんな人こそ、周りに声をあげて自分の健康と幸せを確保する必要があると思います。それをせずに無理を重ねることで、心身が病み、自分の人権の確保などということに思いが至らなくなり、それは自分の人生(日常)を諦めてしまうということになりがちです。

  「まだ大丈夫、頑張れる」と思う間に、「無理をしないと保てない状況」から離れること。

「まだ大丈夫、頑張れる」の先にあるものは「もう無理、頑張れない」だから。その先には、心身の病に伏せる未来や自ら命を絶つ可能性が待っているから。

 

 どんなに才能のある人も、自分の幸せな人生は人それぞれにあります。自分の幸せな時間、人生を尊重することは、自分の人権を護ること。それは親や家族や上司が決めたり、他者に委ねることではなく、自分にとっての幸せは自分にしかわかりません。自分の幸せな人生を他者(それが親や恩のある人であっても)が決めて選択することは、自分の人権を放棄することであり、自分の生命を尊重しない生き方です。

 

 学校や社会、会社の変革は、一人一人の意識の変革から始まります。まずは自分自身の人生を尊重すると決めて行動することが、自分自身の人生、ひいては自分の生きる世界の幸せと平和へつながります。

 

 

 人は本来「学ぶ」ことで自らを知り、「働く」ことで幸せを得ることができます。

 「学ぶ」ことで自分のことや他者の特徴を知り、その違いを知ることで自らを尊重し、他者をも尊重することができます。また「働くこと」は自他共の幸せに貢献することであり、それは自尊心を育み、自分を大切に思う心を育てます。

 

 「学ぶ」ことは、学校で勉強することだけではなく、「働くこと」も会社に勤めることや収入を得ることだけではありません。学びや働くことに幸せがあるやり方でそれらに取り組むとき、一人一人の幸せな人生、誰もが安心して幸せに生きていくことのできる社会が生み出されていきます。

 

 自分にも他者にも優しい人生へ

 今までの「学び」や「働くこと」に関するお金と時間と空間の用い方を見直す時が訪れています。時間や空間を限定しない「学び方」や「働き方」が存在します。また、お金に換算することのできない「働き」があります。それらが今早急に必要とされているのかもしれません。 

 一人一人が自分らしく学ぶ、働くことができるシステムは、一人一人が自分らしく幸せに生きると決めることから始まります。「必要は発明の母」です。学校や会社、システムや社会が変わるのを待つのではなく、まずは自分(または子供達)が自分らしく幸せに生きることを尊重することから世界は変わります。その意識を持つだけでも、自分と社会や周りの人たちへの認識が変わり、寛容と受容の心が生まれます。それは、自分にも他者にも優しい人生につながります。

 

 どんな状況でも、他者から見て恵まれた状況であろうと、またその逆の状況であろうと、才能や能力のあるなしにかかわらず、一人一人の幸せは本人にしかわかりません。自分自身の幸せな人生を生きることは、各々を尊重し健全で幸せに調和した世界を生みます。それは自分自身の人生にとっても、生きる世界にとっても必要なことであるという認識を一人一人が持ち、自分自身の感じる幸せな日常を選択することが大切です。

 

 大切な自分の生命、人生、大切な人の生命、人生を、幸せな日常で包むために、私たち一人一人が自分らしく幸せであることを選択する時、それは今です。

 

 

 

 

 

幸せな人生を生きる責任その視点と選択

 大幅に加筆しました。ご覧いただければ幸いです。(いただいていた☆が消えてしまいました。。☆つけてくださっていた方ごめんなさい>_<。)

 

 はじめに今回の風雨被害に遭われた方々へ、心よりお見舞い申し上げます。皆様に一日も早く安心して暮らせる日々が戻ることを願っています。

 

 

 自分の幸せに責任を持つ

 今この時も、世界は一人一人が幸せに生きるための課題が山積しています。アメリカや中国、インドや香港、ウイグル地区・・、人種差別など人権の問題は、人が当たり前に安全で安心な毎日を生きることを肯定しそれを世界の必然とする認識が必要です。そこに暮らす人権を損なわれながら生きる方達に、他国で暮らす私ができることはわずかなことしかないかもしれません。けれども私たちの意識が人権を確保することを必然とする時、それは世相となり、世論を動かし国をも動かします。

 ヘイトスピーチや、国や行政への不満・不安を言うだけでは自分や社会にネガティブな意識を増幅させるだけです。

 今、人として生きることを確保するために苦しんでいる方々のためにできること、自分自身の人生の中で人権を確保するためにできることは何か、それを考え行動することは、自分の生きる世界を変えることにつながると思います。それが世界を変える一歩であり、自分のできる実際的なことだと思います。

 

 世界の憂いを無視して自分だけの幸せはあり得ません。人は自分一人で生きているわけではないからです。世界の憂いに目を向けて、その原因を国や一部の人の責任として批判したり嘆いたりするだけでは何も変わりません。それはかえって悲壮感や憎しみの意識を世界に根付かせてそこからの平和への意識の変革を遅らせることになり得ます。

 専門のスキルもなく問題の起こっている場所へ赴き 声だかに批判することは、自分の安全を脅かすだけでなく、逆に問題を増やすことになりかねません。世界や世間の問題に目を向け正しく認識した上で、それを解決するために自分ができることは何かを、私はずっと自分に問おてきました。

 

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平和な世界と幸せな日常のために

 

 結論として、まずは自分自身の幸せを確保すると決めること。

 幸せな日常・幸せな人生は、本人の意識が認識するものです。自分が本当に幸せだと(考えるではなく)感じる日常を確保することは、自分にしかできません。それは自分が幸せと感じることが何かは自分にしかわからないからです。そしてその幸せを選択することも、自分にしかできないからです。

 他者から提供されることも自分がそれを選択しなければその日常や人生を生きることはできません。自分が幸せに生きるためには、まず自分が幸せに生きることを自分に許可し、選択することが必要です。

 自分の幸せを確保することは自分の人権を守ることにつながります。何故ならば「安全・安心して暮らすこと」「健康を確保すること」「仕事やライフスタイルなど人生の選択の自由を確保すること」は人権の基本であり、人の幸せの基本であるからです。

 

 次に、自分から幸せを発信すること。

 それによって人権尊重した人生を生きる意識を広めること。今の社会では実際に人権を優先した生活や社会システムでないものが多く存在します。そんな自分の生きている社会の中で、自分が幸せに生きる姿は、人権の確保された成熟した社会へ向かう意識に必要なものだと思います。

 今の世界を平和な世界へ変えるために、まずは一人一人の意識を変えることが必要です。

 それに対して自分ができることは、まず「自分の人権を尊重して幸せに生きる」と自分の意識を変えることから始まります。平和な世界を築くことは、一人一人の幸せな人生を実現することでもあります。

 その一人一人の幸せのために、まずは自分自身が幸せに生きる覚悟と責任を持つことが必要です。自分の幸せな人生は自分にしか築けないということを認識し、自分の幸せ(健康・安全・安心・自由など人権の確保を含む)な日常・人生を生きる覚悟と責任を持つことが、他者のそれを認め尊重する意識にもつながります。

 

 では具体的な日常の中でどうすれば幸せを確保し、自分の幸せな日常を保つ責任を全うできるのでしょうか?

 

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幸せに生きる決意と責任を持つこと

 

 物事を幸せに捉える視点

 私は先日高齢者施設にいる母と久しぶりに直接面会した時に、自分の視点がどこにあるかで自分の今の現実が変わることを実感しました。今日は現実は自分の視点で幸せな人生に向かうということについて書こうと思います。

 

 母との面会はいつも30分以内くらいの短いものですが、その間に母の生きる世界はコロコロ変わります。今の母は思考よりも感情のままに生きているので、その時の母の感じる気分によって感情が生まれ、それが母の生きている現実となります。私が母に同じことを話すとしても、事実をそのまま伝えるとしても、それに対しての母の反応は、私がそれをポジティブな表現で伝えると肯定的に楽しい気持ちになり、心配して伝えると否定的であったり機嫌が悪くなったりします。それは私が伝える物事をどの視点で捉えて母に伝えるかで、母のそれに対する認識が変わり母の生きる現実が変わるということです。

 

 他者から見てどうこうではなく、自分が幸せを感じているかどうか、同じ状況でも幸不幸は人それぞれの感じ方、物事の捉え方で違ってきます。

  持っているものを失うことにフォーカスして心配して生きるのか、持っていることに感謝して嬉しい気持ちを周りとシェアしていくのかで未来は変わります。

 

 心配や諦め、不安は、同じものを引き寄せます。それは自分の心がそれらにフォーカスしているから。フォーカスしているその視点の先にあるものを、存在するものとして認識するから。

 

  本当は心配や諦め、不安の先の未来と同じだけ安心や希望、信頼という幸せの種にも可能性があります。どちらにフォーカスするかで、自分の生きる世界にあるものの存在の意味が変わります。

 

 

 幸せがあると信じて視ること

 同じ状況でも、持っているもの、感謝できること、嬉しいことにフォーカスすると、幸せを感じます。そして幸せがあると信じて視ることで幸せにフォーカスする視点が生まれます。

 

  同じ状況でもフォーカスするものの視点の先にあるものと同じものを引き寄せます。自分が見るものが存在し、自分が認識するものが存在し、自分が判断したように存在します。

 

 たとえそれが世間の常識、または非常識と言われる物事だとしても、それは自分がそのように視て決めていること

  人は世間や社会が自分の生きる世界を作っていると思いがちだけれど、本当は自分が思うように世界を視ています。自分の物事の捉え方が変わると、視点が変わります。視点が変わると認識が変わります。認識が変わると感情、そして思考が変わり、それに伴って言動が変わります。

  すると今まで付き合っていた人たちと合わなくなったり、付き合いかたが変わったりすることがあります。合わない人とは疎遠になるか、無理に関係を続けていくことになります。また、今まで合わなかった人と合うようになったり、新しい関係が生まれたりもするでしょう。

 

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自分の幸せに合わせた視点

 

  もしも今の自分に不満があったり、今の人生や日常が心や身体に無理を強いるものであるなら、または今の自分の状況が嫌なのなら、自分の視点を変えてみることで同じ現実でもその現実を違う認識で捉えることができるしれません。

 

 世間や社会、周りに合わせた視点ではなく、自分の心と体が安心してリラックスする、健康で健全でいることを選択するという視点、「日常の一つ一つが嬉しくて幸せを感じるか」それを基準に生きることを自分に許可し、その自分の視点で物事を視てみると、自分らしく幸せな日常がどんなものかを思い出すことでしょう。

 

 

 幸せに合わせた視点

 また、「自分の幸せに合うかどうか」という視点で周りの物事を見た時に感じる感情は今までの思考を変え、それにより自分の言動が変わります。

 

 なんのための人生か、人は皆幸せに生きるために生まれてきたはずです。それは自分らしく輝いて世界と調和して幸せをシェアし拡大する人生です。

  もしもあなたが今までそんな人生を生きていなかったとしたら、自分が幸せに生きることを許可した時に、周りの人たちと合わなくなることもあるでしょう。もしかしたらそれは今までのその関係を解消することになるかもしれません。けれどもその関係を解消することは、自分だけでなくその人達の自由も選択するということ。お互いに自分らしく幸せに生きることを認めて、それぞれの幸せな人生を生きていくということです。

 

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それぞれが自分らしく幸せに生きていく

 

 

 それは今までの人間関係の解消を生み、もしかしたら一人ぼっちになる心細さを感じることかもしれません。

 私も自分がありのままの自分を受け入れ認めて生き始めた時、その私を否定しダメ出しをされるばかりで、本来の私を拒まれたようでさみしい気持ちになったことがあります。

 けれども自分にありのままの自分で生きることを許可した時、それが他者の人生もありのままで生きることを許可することにつながります。それがそれぞれが共感して共に幸せに生きることのできる人との出会いや人間関係を生みます。

 

 生命を大切に尊重する視点

 もしも今の状況が嫌なら、まずは自分の生命をありのまま大切に尊重する視点に立つことが大切です。そこから自分も他者もありのまま尊重して共に幸せに生きる人生と世界が実現していきます。そして自分の幸せな人生、自分の幸せに合う自分にシフトします。

 

 自分の可能性、生命の可能性を信頼すること、その視点で自分を視ること、それは自由で幸せな人生、世界の始まりです。

  安心して自分らしく幸せな物事を選択すること、それは自分も他者も世界も自然体で調和した人生の始まりです。

 

 現実をどのような視点でみることが、自分も他者も世界も幸せで調和した現実となるのか?

 無理や我慢をしたりして、「こうあるべき」と思い込んでいる自分や世間に合わせた視点ではなく、本来の自分、ありのままの自分の幸せを選択する視点で目の前の現実を視る時、人生は既成の現実に合わせた受け身な人生ではなく、自分自身が選択する幸せな人生となるということを、心に留めていきたいと思います。それが自分の生きたい世界を創る一歩だと信じて。自分と世界の可能性を信じて、自分も他者もありのまま幸せに生きる世界を生きると決めて。

 

 

 

 

 

 

自分らしく介護する愛に気づく愛を受けとる

 嬉しい再会

 先日、母が施設で転倒し右足と右腕を骨折し入院、無事退院してから2度目の検診のため病院へ行きました。母とはコロナのためずっとテレビ電話での面会だったため、2ヶ月くらいぶりに直接母と会いました。テレビ電話で毎週話している時から感じていましたが、やはり私のことを忘れていました。私はもうそれを覚悟して受け入れているので、母の老いを悲しむよりも、目の前に母がいて母の体温を感じることができることが嬉しかったです。

 

 その日は事前に予約して午前中に受診ということで、受付を済ませレントゲンを撮り、指定された診察室の前で母と二人で診察に呼ばれるのを待ちました。私たちよりも前から待っている人が呼ばれ診察室に入っては出ていき会計を済ませるのを見るとは なしに見ながら、順番が来るのを待っていました。

 すると私たちの前を見慣れた顔の人が通り、振り返りました。それは以前母がデイケアに通っていた施設の室長のYさんでした。そのデイケア施設は、私が毎週親の施設めぐりをする途中にあり、その施設の前を通るたびに私はYさんにお会いしたかったのですが、母がその施設を利用しなくなったので、もうお会いする機会がないなぁと寂しく思っていました。Yさんは40代くらいの女性で、いつも私や母の気持ちに寄り添い、真心を尽くしてくださっていました。そのYさんが、病院で診察待ちの私たちを見つけて声をかけてきてくださったのです。

 Yさんは私に「ずっと、どうされているかと気になっていたので、Kさん(私の母の名前)にお会いできて嬉しいです。どんなご様子ですか?」と話しかけてきてくださいました。そして母に「こんにちは、お久しぶりです。お元気ですか?」と声をかけられ、私が母に「以前デイケアでお世話になっていたYさんやよ」と伝えると、母は「お世話になっております」となんどもYさんに挨拶しました。Yさんは「こちらの方こそお世話になっていました」と言われ、母は何度もなんどもYさんに「お世話になっております」と繰り返していました。

 それからYさんは私に仕事や介護などの生活状況を尋ね、「またいつでも施設に遊びに来て下さいね。気軽に話しに来てくださいね。」と言われました。そして今担当されている施設利用者の方のもとへ戻って行かれました。

 私は母に「Yさんに会えてよかったね。ずっとお母さんのことを気にかけてくださっているんよ」と話しました。母は私に「お世話になります」と言いました。

 

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ともに生きる喜び

 

 見えない思いやりに気づく幸せ

 私は一人で母に付き添い、気を張って母の診察の順番が来るのを待っていました。そこへ思いがけず、信頼しているデイケア施設のYさんに再会して声をかけていただき、ホッとしたのと同時に、「私は一人じゃないんだなぁ。会えなくても一人でいても、何処かで誰かが気にかけてくださっているんだなぁ」と心から感謝と喜びの思いが込みあげてきました。

 そして「私は これは私の役目だとか、自分で頑張らなくちゃとか思ってきたけれど、そしてそれは変わらないことだけれども、自分が大変な思いであったり、辛いとか心細いとか不安だとかという現状を周りの人に伝えることで、真心や手助けを受け取ることができるんだなぁ」とあらためて実感することができました。自分で責任を持つという覚悟とともに、現状や気持ちを周りに伝えていくことで、自分も周りの人たちも安心して幸せをシェアしていくことができるんだなぁと実感しました。私は周りの人たちの真心の中で生きている、感謝の気持ちでその真心を受け取ると、そこにある愛情を社会で循環させていくことができるんだと思いました。

 

 思いやりと真心を受け取る幸せ

 私は「自他ともにありのままで幸せに生きること」を尊重して協力して生きる世界を広めたいと願って、私が今まで生きてきた中で学んだことを皆さんとシェアしたいと思いこのブログを始めました。

 私は無意識に「これは私が対処すること」と思って、子供や夫に対する配慮や親の介護・資産管理など、ずっと家族をケアすることのプレッシャーを抱えて生きていました。目の前の対処すべきことを自分の判断で一つ一つ実行してきました。肉親や家族に相談すると悲しい思いをすることが多かったため、いつからか自分でやるしかないと思っていました。家族に頼ったり相談できる人がいなくても、人は一人で生きているわけではありません。社会に現状を発信すること(市の高齢者担当窓口など)で、必要な手助けを得ることができます。そしてその中で、人としてのつながりができるということを今回あらためて実感しました。デイケア施設のYさんは、今は母がその施設を利用していないため母の担当でもないですが、ずっと母のことを気にかけてくださっています。そして私の現状(仕事と介護のことなど)までも気にかけてくださっているということを今回知りました。

 

 

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真心に気づく幸せ

 

 Yさんと話した後、私は母のむくんだ足のマッサージを一生懸命していました。すると途中でどなたかが、母のマッサージをしてしゃがんでいる私の後ろを通り近くに座られました。私は気にせずにマッサージを続けていました。

 しばらくして看護師さんがその方達を呼ばれ、違う窓口へ案内され、その方達は「ここでずっと待っていたのに違うの!?」と不満を言いながら他の窓口へ移動していかれました。その時に先ほどのYさんが会釈をして私の前を通られました。私は先ほどYさんが「施設の人が転倒して骨折されたのでここに来ています」と言われていたことを思い出しました。

 それから私たちの後に来られた人たちも次々と受診・会計されて、待合室には私と母だけになってしまいました。しばらくしてようやく呼ばれ診察を受けることができました。救急病院のため救急受付が3件あったため、私たちは長時間待つことになったと、診察の時に先生からの話でわかりました。その中の1件がYさんのデイケア施設の利用者さんの転倒骨折だったのだと思います。

 

 救急が3件入って私と母は結果的に2時間以上診察待ちをすることになりました。会計を済ませた時点で、朝に受付をしてから3時間経過していました。前回の検診の時より大幅に待ち時間が多かったのですが、母の気持ちも体調も悪くならず、待ち時間に母のむくんだ足をマッサージして母の足が少しでも楽になったことは良かったかと思います。

 私の両親は何度か救急で病院へ運ばれています。救急だと待つことなくすぐに診察してもらえます。それは同時に、誰かが私たちの診察を優先して待っていてくれていることがあるのだということです。

 そして午前の診療にもかかわらず14時くらいにもまだ診察してくださっている先生がおられるから母は診察してもらえました。

 それは今の日本社会では当たり前と思われることなのかもしれません。けれどもそれは当たり前のことではないということを私は知っています。

 救急病院のあり方、社会のシステムなどに対する課題や批判もあるかもしれません。

 ただ、私が救急が3件重なり診察まで2時間以上待ったことは、Yさんとの再会の機会でもありました。Yさんの言葉だけ取り上げれば「社交辞令では?」とも取れるのかもしれません。けれども私はYさんの目、Yさんの母の手を握る姿を目の当たりにしました。Yさんの発する言葉の温もりも感じることができました。実際に診察してくださった先生とのやり取りもありました。その経験の中で私が感謝と幸せな気持ちを受け取ることができたことは事実です。

 

 

 循環する愛と思いやり  

 私は今回の母の診察の付き添いでたくさんの幸せを得ることができました。

 母と元気に再会できたこと、母が生きていることを嬉しく感じる自分がいること、私たちを気にかけてくださっている人たちの存在を実感し、感謝と喜びの気落ちを持てたこと、救急診察一つとっても、人の思いやりに支えられているということに気づくことができました。自分が一人でいる時にも気にかけて手助けしたいと思ってくれている存在があるということ、そして母の姿を見て、人は老いて記憶がなくなってもその人らしく生きるのだということにも気づくことができました。

 それらは私にどう生きること、どう歳を重ねることが幸せなのかということを教えてくれました。

 私は一日いちにち生きるごとに安心と自由を得て、幸せを感じています。身体は一日いちにち年老いて死に向かっているのかもしれませんが、「今日が一番若い日」とも言います。そして何よりも私は日々幸せが増えていくことを実感しています。それは日常が特別変化したわけではなく、自分自身が幸せに気づくことが増えているからだと思います。そして本当の意味での自立、人とともに生きる意味を知り得たからだと思います。

 

 皆さんと幸せをシェアしたくて、長々と先日の出来事を綴りました。どうか皆さんの日常も幸せにあふれた毎日でありますように、、、皆さん・この世界への感謝の気持ちとともに心から願っています。

 

 長文最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

幸せな日々の意味を知る

 自分らしく幸せに生きるために

 

 私のブログでは「ありのままの自分」「本来の自分」「自分らしく」と言った言葉が多く使われます。その自分の幸せを選択して生きることが、自分も他者も尊重して平和な世界を作り広げていくということを、私はこのブログの中でお伝えしたいと願っています。

 

 * 幸せはこの世界の外にあるのではない。

 * 本当の自分は、今の自分から離れたところにはない

 * 今の自分も本来の自分もありたい自分も、全て今の自分自身に内在している

 * 過去がどうあれ、今の自分がこれからの自分の人生を作る

 * 今の自分の人生は過去の自分の結果であるから、今の自分がこれからの自分の人生を作る

 

これからのブログの中で、私の経験や学んだこととともに、これらのことを一つ一つお伝えしていきたいと思います。

 

 本来の自分の望む幸せとは

 「自分」という概念は、心理学ではアイデンティティや自我というものに結びつきます。「ジョハリの窓」のように、「自分から見た自分」、「他者から見た自分」といったもの、「 社会的自己像」、「ありたい理想の自分」など様々な視点や捉え方による「自分」があると思います。「自分らしく」とか「ありのままの自分」とか、「本来の自分」と言われても結局よくわからない、またはその時々で色々な自分がいる・・・ということもあるでしょう。

 

 幸せに生きるために必要な「本来の自分」の望む幸せを知るために必要なことは、そんな概念から導き出すものよりも、"「心地いいもの」「安らぐもの」「喜びが溢れ出るもの」は何か? " ということにに注目する方がよくわかると思います。それら心地よいものが、自分自身の幸せに必要なものということですね。

 

 日々を安らいで幸せに生きることは、そんな自分が心地良いものを大切にすることから始まると思います。それらを後回しにしたり、諦めることが日常であれば、それは「本来の」「ありのままの」「自分らしい」自分でいることを二の次にしているということ。自分の生命(自分の健康・時間、存在そのもの)を二の次にしているということ。そんな人生を本当に自分は望んでいるのか、今一度自分の心に尋ねてみることが、これからの人生をより健康に幸せに生きることへ繋がるのではないでしょうか。

 

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日々を安らいで幸せに生きる


 幸せに生きるために大切なこと

 世の中には「本当の幸せな人生」「本当の自分」への探求を促す思想やメッセージがあふれています。自己啓発、生き方のスキルアップ方法といった現実の生活に根ざしたものや、古来からの世界の法則を学ぶこと、精神世界への誘い、様々な宗教などがあります。

 皆さんの中にも、それぞれの気持ちや考えに合ったものを信じて実践したり、リスペクトして生活している方も多いと思います。

  私は幼少の頃からの性格や生育環境からくる悩みを解決したくて、それらの様々なことを学んできました。その学びの中で気づいたことがいくつかあります。

  誰もが健康で安心安全に生き、幸せな人生の中で自己実現を目指すことは、人の自然な欲求です。自己実現がどんなものであるのかは人それぞれですが、どの生き方、どの人生でも共通する、幸せに生きるために大切なことがあります。それは

 * 現実を離れての幸せはないということ

 * 自分を犠牲(無理を強いること)にしての幸せはないということ

 * 自分の生命の可能性を信じることが大切だということ

です。一見当たり前、当然のことのようですが、時にはこれらを見落としたり意識しないように、半ば諦めて生きることもあるのではないでしょうか?

 

 また、「幸せ」や「自己実現」を目指す中で、先ほど述べたような「本当の自分」を追求していくうちに現実から乖離することや、今の自分とは別の人格を目指すといったことも起こり得ます。それは、真摯に自分の幸せや平和な世界の実現を目指す気持ちからのこともあれば、ただ今の現実を変えたいという欲求からそこへ傾倒していく場合もあるでしょう。

 例えば、” スピリチュアルなメンターが「望む未来や欲しいものが手にはいる」と言って、そのセミナーやワークに参加していくうちに、現実よりもその世界に生きることが幸せで、お金と時間を費やしていく ” など、世の中にはそんな場面が多くあります。自分の興味あるセミナーなどはインターネットなどで調べればすぐに見つかりますよね。大抵それは、自分の欲求に合った「思い」が提供されます。

それは「メンターとなる何者かによって欲しいものが得られる」、「これをマスターすれば、思い通りの人生が開ける」、「この時間この場所に行けば、望んでいる気持ちが満たされる」といった思いなどです。

  

 これらには共通した思いがあります。

 それは、幸せな人生を生きるのに「本来の自分では足りない」という不足感です。

 「自分の持つ本来の力を信用していない、またはそれを引き出すことは非常に困難である」「自分には〇〇が足りない、だから他者から与えられる必要がある」という思いです。

 そして、「今の自分」では自分の望む人生は得られないと思い、「本来の自分」をこの世界とは別の世界に求めることもあります。それは「この世界は仮の世界で、本当の自分は他に存在する。本当の自分で生きるためには〇〇が必要だ」、「この世界には生きる価値がない、私はもっと素晴らしい世界に生きるために〇〇が必要だ」などというものです。

  類が人を呼ぶのか、自分が不足感を持って他者や自分以外のものに不足だと思うものを求めると、同じ気持ちの人と出会い集まり、その思いを利用して、それが満たされるかのようなセミナーや物販を提供する指導者を名乗る人と出会ったりします。

 

 

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自分のままで幸せに生きる


 自己啓発などで「今の自分」に良いものを加えようとすることとは違い、「今の自分」ではダメだと否定し、別の自分を目指すことは、自分の人間性や性質を自ら否定し拒むことであり、それは本来の自分を愛さずに傷つけることになります。

 「今の自分」を受け入れないことは、何をしても満たされない自分を作ります。

 その「満たされない自分」が外から何かで満たそうとする、そんな思いが「ここに行けば幸せ」「これがあれば幸せ」「こんな自分になれば幸せ」という思いを生み、その不足感に合う世界へ引き寄せられていきます。

  自分の心地よい錯覚を与えてくれるものに惹かれて、

 * 「ここではないどこか」 違う世界・・・この世界を否定した先にある「本当の自分」が存在する世界や、

 * 「今の私ではない自分」・・・  "「完璧な」「愛される」「満たされる」自分 "  を自分の外へ求めることは、「ありのままの自分ではダメだ」と思い、自分の幸せを外の何かで満たそうという思いです。

 

 「自分のままで幸せに生きることができる」ということを信じるだけでも、幸せは身近に得ることができると思います。

どこか素晴らしい世界へたどり着く必要もなく、他でもないこの世界で、

今の自分を離れた別の自分になるのではなく、この自分のままで、

いつかの誰か(先祖など)の障りが自分に影響しているのでもなく、自分をあるがまま幸せに生きることは可能です。そしてそれは生命の可能性を信じることで、自分の幸せに生きる力を信頼することから始まります。

 

 

 

 

 

 

 

新しい朝

同じ現実なのに

状況は何も変わっていないのに

私の生きる世界が変わった

 

 

不安で真っ暗なトンネルを歩いている夢を見た

暗澹たる気持ちで目が覚めた

窓の外は曇り空

 

思うようにことが運ばない

為すすべもなくうなだれる

 

このまま逃げてしまおうか

諦めて楽に生きようか

 

私は幸せに生きると決めたのに

 

私は何が不満なの

私は何が不安なの

 

 

目の前の現状を改めて見渡して見た

思うように運ばない

けれど

それでもその現状が

存在すること自体が

 

生きて

人と

世界と

繋がっているということ

 

それは

私の側に人がいてくれているということ

それは

家族や友人、恋人ではないかもしれないけれど

 

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誰でもない私の幸せ

 

私は私らしくいるだけでいい

幸せなことを見つけるだけでいい

それは誰でもない私の幸せ

 

私が自分らしく幸せでいることが

誰かの希望になるということに気がついた

 

 

生きて

自然に息をして

自分の足で歩いていく

その中で感じる

匂い

暖かさ

冷たささえも

 

生きているからこそ

 

それを味わい

楽しむ

 

それだけでもう

幸せはそこにある

 

ありのまま感じて

ありのまま味わう

 

その幸せを抱きしめる

 

 

窓の外は曇り空

雲にも色があることに気づく

 

 

同じ現実なのに

状況は何も変わっていないのに

私の生きる世界が変わった

 

 

それは現実は

自分の見る世界だから

世界をどう見るか

世界のどこを見るか

 

視点が変わると

世界が変わる

 

同じ現実なのに

状況は何も変わっていないのに

私の生きる世界が変わる

 

 

 

 

 

 2020.1.26 for you

私らしく幸せに生きる「本来の自分の幸せな人生」の見分け方とそのための生き方は

 ☆当然のこととして「ありのままの自分で幸せに生きることを選択する」

 私は幼少の頃から、自分の育った環境や性質から、自己肯定や自尊心が低いまま大人になり、そんな自分に合う現実を生む選択や振る舞いをして、苦しく辛い人生を引き寄せて生きていました。

 けれども、世の中には私のような思いをして生きてきた人ばかりではなく、両親や周りの大人から愛情を受けて自己肯定感や自尊心、自己愛が順調に育って、自分らしく周りと協調して生きている人もたくさんおられます。幼少期、青年期に必要な経験や愛情を得て、成人して社会人になった時に、「自分らしい」かどうかを振り返ることをしなくても自然体で物事に対し、素直に他者からの愛情や厚意を受け取り、心身ともに健康に幸せな毎日を送る人もたくさんおられると思います。

 そんな人々の中には、私の記事を読まれても、他人事で共感や興味もない人もおられるでしょう。また、経験としては理解できなくても、気持ちに寄り添い、自分の周りに私のような人がいれば手助けしたいと思う方もおられるかと思います。

 このような人々にとって「ありのままの自分で幸せに生きることを選択する」ことは、当たり前のことで、自分の「本望の人生」がどんなものか改めて考える必要もないほど日々に満足している方もおられるでしょう。

 ではなぜ私は「ありのままの自分で健康で幸せな人生を選択すること」の大切さを、皆さんにお伝えしようとしているのでしょうか?

 

 その一つの理由として、そのように生きることが困難な人へ、幸せに生きるために必要なことを伝えたいということがあります。

 私がこのブログでお伝えしている内容を自身の人生で当然のこととして、日常をそのように生きている方には、私がブログでお伝えしていることを、あなたの周りにいる「不満や苦痛を強いながら生きている友人知人」にお伝えしていただければ嬉しいという思いがあります。

 「類は友を呼ぶ」ということわざの通り、自分の周りにはそんな人はいないという方もおられると思いますが、人は普段、「今の人生に満足している自分」「今の生活で満たされている自分」でありたいと願い、そんな自分であるように他者に見せたいと無意識に思って、「そのような自分らしく」他者と関わっていることがあります。それは日常の社会生活で無意識の自己防衛からの判断かもしれません。それはもしかしたらご自身にもあることかもしれませんし、あなたの周りの「満足して生きているように見える」人(家族や友人知人)かもしれません。

 

 本心から「ありのままの自分で健康で幸せな人生を選択すること」を日常の中で当然のこととして生きている人は、心身ともに自分を大切にして無理のない日常を心がけておられると思います。

「ありのままの自分」を肯定して受け入れている人は、日常の選択が自分の気持ちに即したものであるため、過剰な無理をせずにストレスの少ない日常であることが多いと思います。そして、ご自身がそうであるから、他者(自分の周りや社会)を尊重して、協力していこうという素直な思考のもと、他者の存在をありのまま認識して、それらに対して自分を適応させたり、適度な距離感で対していくことができるでしょう。

 人は社会性を持つ生き物です。通常この社会は、一人では生きていけません。自分を健全に保ち、他者と適度な距離感で互いを尊重し、協力して生活していけることは、健全で心身ともに健康で幸福な日常、人生を生きることにつながります。

 

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ありのままの自分の幸せな日常

 

  ☆「ありのままの自分で健康で幸せな人生を生きる」ために必要なことは?

 「ありのままの自分で健康で幸せな人生を生きる」ために必要なこととして

*ありのままの自分を肯定して受け入れ、尊重すること

*その自分で生きることを肯定し、その人生を生きることを認めること

*自分も他者も、そんな人生を生きることを認め尊重すること

があります。

 

 「ありのままの自分で健康で幸せな人生を選択して」生きている人にとっては、どれも当然のことであると思いますが、これらが当然でなく、自分に無理や我慢を(本意不本意に関わらず)強いて日常を生きている人にとっては、これらの実践が難しいことが多いのです。

 

 これらの実践が難しくなった要因には、生まれ育った家庭環境や、自分自身の性格、社会環境、人生で起こった出来事などからの思い込みや勘違いなど、様々なものがあります。その要因と一つ一つ向き合い

なぜ「ありのままの自分を肯定できない」のか?

なぜ「ありのままの自分を受け入れることができない」のか?

なえ「ありのままの自分を尊重することができない」のか?

それらを自分に問うていく中で、幼少の頃の出来事や、社会に出てから経験した辛い思いなどに行き当たるでしょう。その時に、

なぜそう感じたのか?

なぜそう考えたのか?

なぜそう判断したか?

を思い出してみることで、その時の自分の感情や思考の動きや、その感情や思考の生まれる原因を発見するでしょう。それは大抵、家族や周りの常識や概念・固定観念と自分のそれとのズレを無意識(または不本意)に受け入れ、他者のそれらに従うことを自分に課したことが原因であると思います。

 他者のそれら「常識や概念・固定観念など」が自分の幸せや安心な状態を保つこととズレているのに、「生きるために他者に従うことが必要」と判断して、そちらに従う人生を生きるうち、「ありのままの自分で健康で幸せな人生を選択すること」がどんどんと困難になっていきます。そして本来の自分の幸せな状態がわからなくなっていきます。そんな状態では、

なんだか苦しい

なんだか心から安らげない

なんだか心から幸せを感じることができない

 毎日が安全で安心で不足ないはずなのに、なぜかどこか不安で落ち着かない、「心の底から幸せ」というよりも、これが幸せよねって、ベターな幸せなはずって、本心からの幸せ(ありのままの自分で健康で幸せな人生)であると思い込もうとしているけれども、心のどこかで「幸せじゃない」思いがうごめいている、、、という日常を生きることが多いと思います。

 

 「これが幸せよね・・」って、自分自身に幸せである実感がない状態。それは他者の幸せの概念に合わせて、ありのままの自分の幸せに合わせていないから。

「これが私のベターな人生よね・・・」って、ベストな人生を生きられると信じられず、諦めているということなのかもしれません。もしそうであるならそれは

*ありのままの自分を肯定して受け入れ、尊重すること

*その自分で生きることを肯定し、その人生を生きることを認めること

ができないから、ベストな人生を生きることを肯定できず、受け入れ尊重できないために、ベストな人生を生きること(ありのままの自分で健康で幸せな人生を選択すること)を諦めているのかもしれません。

 ベストな人生(ありのままの自分で健康で幸せな人生)を生きるためには、

*ありのままの自分を肯定して受け入れ、尊重すること

*その自分で生きることを肯定し、その人生を生きることを認めること

*自分も他者も、そんな人生を生きることを認め尊重すること

が必要なのだと思います。

 

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自分にとってのベストな人生とは?

 

 ☆ベストな人生を生きるために必要なこととは?

 人には人のそれぞれの人生がありますが、人の幸せの基本として、「マズローの欲求5(6)段階(自己実現理論)」でいうならば、その初めの欲求である「生存欲求」から順調に満たされて生まれ育った人は、自分なりの幸せな人生を選択して生きていくことが多いと思いますが、それでも社会に出てから改めて生存欲求をはじめとする欲求を満たすために自分と向き合っていかれると思います。どの人生の段階かから、上記で述べた

*ありのままの自分を肯定して受け入れ、尊重すること

*その自分で生きることを肯定し、その人生を生きることを認めること

*自分も他者も、そんな人生を生きることを認め尊重すること

 が困難となり、「ベターな人生」を選択する人も多いと思います。

 けれども、人は本来ベストな人生を生きることが可能であり、一人一人のベストな人生を確保できる社会を目指すことが、人々が幸福で調和のとれた世界の実現につながります。

 

 

 ☆「ありのままの自分で生きる」ことは健康で幸せな人生の基本

 それではベストな人生には「ありのままの自分」であることが必要なのはなぜでしょう?

「ありのままの自分」とは「本来の自分」であり、人はそれぞれ生まれ持った自分自身の性質や特徴があります。

 

 もしもそのありのままの自分自身で生きることができないならば、どうなるでしょう?自分自身の性質を否定されたり、認められないとしたら?周りの(家族や社会)に合わせた言動や思考を強いられ、本来の自分でいることが許されない(本来の自分でいると常に否定されたり咎められたり、排斥される、または自分でそう判断して本来の自分でいることを許可できない)としたら?

 本来の自分を押し殺して生きることは、自己否定につながります。それは自己肯定や自尊心の低い状態を生みます。その状態は、自分が幸せな人生を選択することを阻みます。

 

この件については別の記事に詳しく述べたので、よろしければこちらを覧ください。⇩

niziironohikari.hateblo.jp

 

 人は誰人も等しく「健康」で「幸せ」な人生を生きる権利があります。 

 「ありのままの自分で生きる」ことは、健康で幸せな人生の基本となるものです。

 「ありのままの自分」を肯定し認めることで、本来の自分自身に対して、大切されることや愛を受けることを許可できます。それは自分を大切に思う気持ちを育てます。そして自分を大切に守る感情と思考を生み、「自分自身に本来の自分のままで健康で幸せな日常を与える人生」につながります。

 

「ありのままの自分で健康で幸せな人生」とは、人として幸せに生きる当然の権利を守ることであり、自分も他者も幸せに生きることを尊重して協力して生きる世界を広げることでもあります。

 

 ☆心から幸せと感じているか?

 「ありのままの自分で健康で幸せな人生」を実現することは、本望の人生(本来の自分が望む人生)を生きることにもつながります。本来、人は幸せに生きることが本望であるからです。

 

 本望の人生であるかは「自分自身が心から幸せと感じているか?」ということで見分けられるかもしれません。

「心から幸せ」であるためには「安全」「安心」「健康を確保する」などマズローのいう生存欲求を満たすことが必要であり、それ自体に課題のある方もあります。そんな人たちの幸せも確保できる世界を実現確保、広げることが、自身の幸せにもつながります。そしてその第一歩は、自分自身が本望の人生を生きることであり、それはまずそう生きると決めることから始まります。

 本望の人生を生きる時、人は心から満足し幸せを感じます。それは心身ともに健康で前向きで元気な日常を生みます。

 もしも日常がその逆で「健康でなく」「後悔や愚痴や諦めの心」で「生きる気力」が湧かなかったり無理を強いる必要があるなら、それは「本望の人生」「自分自身の幸せな人生」とは言えないのではないでしょうか。

 誰もが生きる権利のある、そしてそれが世界の調和と幸せを拡大する人生、それが「本望の人生」「本来の自分らしく幸せな人生」であると言えます。

 その人生を生きるために必要なことは、「ありのままの自分で健康で幸せな人生を選択すること」であり、私は私達一人一人がその人生を実現できることを心から願っています。

 

 「本来の自分」「ありのままの自分」は人それぞれ。「本来の自分の幸せな人生」「ありのままの自分の幸せな人生」も人それぞれだと思います。それは仕事での挑戦であったり、家庭での生活や社会貢献であったり、ただ一日一日を味わうことであったり、幸せな日常は人それぞれだと思います。

 自分を大切にすることができれば、自分の生きがいに挑戦したり楽しむことで、日常が輝いたものになるでしょう。

 

 どうか皆さんの日常が、健康でリラックスした自分らしく幸せな毎日でありますように・・・。

 

 拙い長文を最後までお読みくださりありがとうございます。