幸せ地球ライフ

ありのままの自分で幸せに生きる日常を綴ります(^^)日常の気づきのほか、海外、旅、猫やその他の生き物、自然との感動など、ありのままの自分が感じる感動や幸せ、気づきを皆さんとシェアできれば嬉しいです(^^)♡

今ここに記す幸せ

このブログをお休みしている間にも、様々な出来事、出会いや別れがありました。私自身の心と身体も様々な変化がありました。それらを経ての今、この星に生きる幸せを味わおうと思います。

幸せを見つけられる心、幸せを感じられる心、幸せを創ることのできる心、それは今ここにある私自身から生まれるものです。

 

先日、施設にいる母とSNSのビデオ通話にて面会をしました。

私は以前母が暮らしていた郊外にあるログハウスからの通話で、画面越しに母の暮らしていた部屋や家の外観、庭を見せました。それは母が暮らしていた頃に大切に手入れをしていた家と庭です。今は私が手入れをしてアトリエとして使用していますが、大きく見た目は変わっていません。けれども母は、それが以前自分が大切に手入れして暮らしていた家や庭だということがわかりませんでした。私が家や庭を映して「ほらお母さんが大切に手入れしていた庭だよ。」「外観を見たら思い出すかな?ほら、ログハウスだよ」などと話しかけても、怪訝な顔をして画面を見ていました。

私のことも面会のたびに「どちらさんでしたかね?」と尋ねます。

 

それでも母は、ビデオ通話に映るバルコニーに咲くシクラメンの鉢植えや部屋に飾ったクリマスツリーの飾りを見て「綺麗だねえ」と笑顔がこぼれ、私のことも覚えていないというのに「あんたは全然変わらないねえ」と笑っていました。

 

病院や施設にいることが常となった頃、「あの家はどうなっている?」「あの家に帰れるのはいつ?」と私によく尋ねていました。

母が元気でこの家に暮らしていた頃は、父と二人で家や庭を一生懸命手入れしていました。植木も自分で剪定して、薔薇や紫陽花、ムクゲサルスベリ秋明菊や季節の花々、実のなる柿や梅の木など、様々な草木の手入れをして見事な庭を作り上げていました。

そして私たち家族に常々「この家は手放してはならない」と話していました。

私のことも、私が幼い頃はもちろん、成人してからもずっと、私が母の思い通り、指示通りに動かないと気が済まないで小言を言ったりキレたりしていました。

 

そんな母でしたが、今は大切にしていた家のことも私もことも忘れているようです。

物事にこだわりの強い母でしたが今は、ずっとこだわってきた物事の一つ一つを忘れ、つい五分前のことも忘れたりし、母は今の瞬間の幸せに生きています。

 

そんな母ですが、私のことを忘れてもいつも言うことは「ちゃんと生活できているのか、元気で暮らしているのか」「体に気をつけて」ということです。

記憶はなくても母の性質はなんら変わることなく、今起こることに対しての心や身体の反応は、母のそれです。過去の記憶や未来へのこだわりが消えても母の性質や思考は変わることなく、その母のまま今を生きています。

 

人の過去は記憶の中に、未来は思考の中に存在します。そして一つの事象に対しての真実は人それぞれであり、過去や未来はその人の心が現実や物事をどう捉えるかにより決まります。記憶はいずれ消えゆくものだとしても、過去の経験や想いから生み出された意識が、今に続く日常を創っています。そして今まで生きてきた自分の言動によって得た物事や人間関係も「今ここ」につながっています。

 

その意識の中にある過去も未来も、そして今ここにある自分も、自分の思考や感情が生み出したもの、つまりは心が感じ認識したものに基づいての価値判断が生み出したものだとしたら、私はその価値基準は幸せに基づいたものでありたいと思います。

 

 

幸せを見つけられる心、幸せを感じられる心、幸せを創ることのできる心で、私を含めた一人一人それぞれが自分らしく健やかで幸せに生きる日常であることが、私の幸せであり、その日常が世界に拡がることを心から願っています。

 

私の、そしてあなたのこれからの日常が健やかで幸せな毎日でありますように、、、