幸せ地球ライフ

ありのままの自分で幸せに生きる日常を綴ります(^^)日常の気づきのほか、海外、旅、猫やその他の生き物、自然との感動など、ありのままの自分が感じる感動や幸せ、気づきを皆さんとシェアできれば嬉しいです(^^)♡

  「生きている」それが生命の勝利

☆ 背中の傷は勲章か? 

 

こんにちは♫ 春の穏やかな光と風の中、新しい自分へ誘うかのように、菜の花が陽の光の中で揺れています。

 

あなたは 力のない小さな存在ではない。

あなたらしく輝くことで 世界を照らす

人々の希望の光になる存在です。

 

 私は母から「躾」という名のもとに、今でいう「虐待」を受けて育ちました。

 ある日私は、母の暴力によって背中に一生残る傷を負いました。

 その傷跡はミミズ腫れのようになりもりあがっていました。その傷跡を時々手でなぞり、どれくらいもりあがりが薄くなったか確認していました。その傷は大人になってもずっとミミズ腫れのままで、背中の空いた服を着るとその傷が見えることがあり、それを見た友達から「どうしたの、背中?」と尋ねられることもありました。この傷は、ずっと私の心の傷にもなっていました。

 

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2020.3 ©︎Hearing Art snowy In the middle of work

 

 昔は、背中に傷を持つことは敵から逃げた結果だとされ、不名誉であるという考えがありました。けれど今の私はこの傷を「自分が生きるために自分を護った名誉の傷だ」と思います。それは、幼かった自分が、親の庇護のもと生きるために「自分を護った」ために得た傷だからです。本当は、「名誉の傷」なんて受けないほうがいい。今の私なら、黙って身を屈めて母からの暴力に甘んじることはないです。けれど当時の私にはそうすることが自分を護る術でした。

 

 もし今の私が当時の自分に伝えることができたなら私は

「我慢しなくていい。逃げて。助けを求めれば誰かが気づいて助けてくれる。」

と言いたいです。

 

 私が幼かった頃の日本の社会は、今よりも虐待という認識が薄く、躾という名のもとに虐待が日常的に繰り返されていましたから、当時私が声をあげても、「躾」として誰も取り合ってくれなかったかもしれません。今の社会は少なくともあの頃よりはずっと、子供や個人の人権への意識が高いと思います。けれど当時の私は「人権を侵害されている」とか、「これは虐待行為だから甘んじてはいけない」とかいう意識がない(それは今の幼い子供達もそうだと思います)ので、身を屈めて母の怒りが収まるのを待つことが生きる術でした。

 今の私は背中の傷も薄くなり、心の傷も自分と向き合う中で癒え、母を恨む気持ちも消えてただ愛することで幸せに生きています。

 そして今私は「一人一人が自分らしく幸せに生きることは当然の権利である」という意識が拡がることを願っています。その意識が拡大するためには、社会の意識が変わることの以前にまず自分自身、一人一人が「私は私らしく生きていい。ありのままの自分で幸せに生きていい。」と認識すること、そんな人生を生きていいと自分自身に許可することが必要だと痛感します。

  

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2020.3 ©︎Healing Art snowy In the middle of work 2.

 

☆「生きている」それが生命の勝利 

今あなたは このブログをどんな気持ちで読んでいますか?

ほっと一息つきたい

何も考えたくない

前を向いて幸せな人生にシフトしたい など

私たちは 日々の暮らしの中で いろいろな気持ちになりますよね。

 

嬉しいことがあった時は

私って なんて幸せ者なの♬

人生は愛に溢れている💖

そんな気持ちになったり

 

悲しいことや 辛いこと、腹ただしいことがあった時は

胸が苦しくて

もう何もかも嫌になってしまう

そんな気持ちになったり

 

日々の生活の中で起こる、様々な出来事によって生じるいろいろな気持ちにあわせて

自分という存在を宝物のように感じたり

部屋のすみにあるちっぽけなホコリのように感じることがあるかもしれません。

 

 

 

空を見上げて。

どんな空が見えるかしら?

どんな風を感じるかしら?

それはどんな温かさ?

どんな匂い?

 

それが心地よいものであるときは

深呼吸をして

五感に集中してみます。

 

それらを感じることのできる

心と身体

それは 他の誰のものでもなく

自分自身のもの。

 

今 嬉しい 幸せな気持ちであれば

そんな自分と世界に

「ありがとう」と言ってみる。

きっと自分と世界が 輝きはじめます。

 

もしその空や風が

心地よく感じられなかったり

不快であったり

何も感じられないのであれば

少しだけ

自分に優しくしてあげてみます。

忙しくても

余裕がなくても

自分に許可できなくても

自分に優しくしてあげてみる。

 

お気に入りの場所へ行ってみる。

自分のために美味しいお茶をいれてみる。

 そんな余裕もないときは自分に言ってあげます。

「頑張って生きていて偉いね」と・・・。

自分を抱きしめてあげる・・。

 

「生きている」

それが生命の勝利

「生きている」

それが幸せな明日に繋がる

 

信じられなくても

自信がなくても

大丈夫

 

人は

幸せに生きるために

生まれてきたのだから

 

 あなたは力のない小さな存在ではない。

自分らしく輝くことで 世界を照らす

人々の希望の光になる存在です。

 

そう言いきれる私になったから

このブログを始めました。

 

最後まで読んでくださって

ありがとうございます!

また気軽に訪れてくだされば幸せです。

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は春分の日、新しい春の始まりに

   ー 希望 ー

 

 春に去りゆくものあり

 離れゆき

 別れゆく

 

 残された私は

 一人 深い闇の底に沈む

 

 一人 うつむく私の前に

 どこからか ひとひらの花びら

 

 花びらを 目で追い

 見上げれば

 空

 

 

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©︎healing art snowy

 

 なくしたもののため

 空いた胸の奥

 入りこみ

 しみわたる

 あたたかな 春の風

 

 目をとじると

 そこに 春の気配が

 

 

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にじいろ羊の贈り物 〜 Love Songs 〜 より 2007 ©︎snowy STUDIO WARP

 

 呼んでいる

 呼んでいる

 私を

 春が

 

       呼んでみる

       呼んでみる

       春を

       光を

       風を

       呼んでみる

 

 

 呼び

 呼ばれて

 私の心は 春をみつける

 

 別れが

 新しい季節を はこぶ

 

 呼び

 呼ばれて

 私の心は

 春へと むかう

 

 

 

 

 

(オリジナルポストカード本「にじいろ羊の贈り物 〜 Love Songs 〜」より、抜粋)

 

 

今日は立春ですね。春は手放しと出会いの季節。

新しい春のはじまりの日に、希望という名の詩をお届けしました。

皆様の春の日に、希望と明るい日差しが届くことを願っています。

 

 

 

 

 

 

私らしく幸せなこと介護と老後と

  先日ふと自分の気持ちに気づいて涙がでました。

 

  昨日は母の病院での診察の付き添いと、老健施設にいる父の面会に行きました。両親は今、それぞれ別々の老健施設で暮らしています。私は週一ペースで、両親の洗濯物の交換(洗濯済みの着替えを施設のタンスに仕舞って、洗濯物を持ち帰ります)と両親の様子を見るために、それぞれが暮らしている施設を巡ります。冬は洗濯物がかさばり重いので大変です(><)""。でもそれは父も母も元気で生きていてくれればこその大変さであり、幸せなことだなあと思います。

 先日ふと、そう思える私になったんだと気づいて涙が出ました。

 

 私は大人になって自分のことを客観的に見るようになってから、両親に対して複雑な思いを抱えていました。私はずっと母との関係に悩んでいました。母のせいで自己肯定の低い、生きづらい自分になったと思っていました。父に対しても大人になってから「子供が虐待されているのを目の前にしていてなぜ助けてくれなかったのか」など、男性不信の元になる想いも抱えてきました。

 

 私は大人になってから、ありたい自分と、生きたい自分の人生と、心の奥底にある自分の想いとがバラバラな中、自分と向き合い、自分の心の奥底にフリーズしていた想いを発見し、そこに向き合って自分を受け入れありのまま認めて、自分を抱きしめて愛して自分を育て直してきました。

 そんなある日、両親をありのまま受け入れて幸せを願う自分になっていることに気づいた時、私は本当に幸せだと思えました。両親も完璧ではない、一人の人間であることを認めて、母なりに父なりに一生懸命私を育ててくれてきたことに感謝と人としての愛おしさを感じました。

 

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2019 ガーデンミュージアム比叡

 私の両親は元気な頃、自分の子供(私)に世話にならないようと毎日たくさん歩いて食事や生活も健康に気をつけて生活していました。それで長らく自宅で両親二人元気に過ごしていました。

 けれど母が認知症を発症、父は心臓が弱り心不全で入院したりして、両親共に自宅で生活することが困難になっていきました。初めは自宅で生活できるように自宅を改装したり、ケアマネージャーと相談しながらデイケアの施設を利用するなどしていましたが、今では両親それぞれが快適に安全に過ごせる施設で生活しています。

 実際のところ、施設利用のための支払いや、洗濯物や家の管理維持、両親の郵便物や資産管理それに伴う諸々の手続きや支払いのほか細々とした雑務など、日常の中でなんとなくのストレスがずっとあります。今の高齢化社会では私のような思いをしている方や、私よりも大変な思いをされている方もたくさんおられると思います。

 

 両親の状態は1,2ヶ月で変わったりして、その都度親に合わせたケアやフォローを思案しています。親の変化する状態は私には初めてのことばかりで、どう対処することが本人にとって一番幸せなのか毎回悩みます。そしてそれが本当に本人にとって幸せで最良なのかわかりません。けれども毎回、ケアマネージャーや施設や役所の人の助言などで、手助けがあることを知り、救われています。日常両親のフォローをする中で、私の知識や経験だけでは思いつかない知り得ないことがたくさんあります。

 

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2019 ガーデンミュージアム比叡

 施設に入らず私が親を自宅で見ることも考えました。だけど両親ともそれぞれの理由で、自宅よりも施設で暮らす方が安全安心快適で、本人も幸せだという結論になり、両親ともできる限り施設でお世話になることにしました。私のわがままかもしれませんが、私は少しでも両親に元気で長生きしてほしいので、そのためには施設の方が良いと判断しています。以前は両親とも自宅でのんびり過ごしたいと言っていて、私もそのために努力していましたが、今は両親とも体力気力が衰えていて、父は自宅では無理だと理解しています(でも本当は自宅で過ごしたいのかもしれません・・・)。母は認知症のためよくわかっていませんが、以前のように自宅へ帰りたいという発想がなくなっているようです。

 

 そんな日々年老いていく両親を見ていて、自分はどう歳をとっていきたいのか、今できることの何をどう生きていきたいのか、年老いて体が不自由になったとしたら私は何をしていれば幸せなのか、認知症になった時に私はどうあれば幸せなのか、様々考えそのために今どうすればいいのか思案しています。そして最近その一つ一つに答えを出しています。(具体的に書きたかったけど長くなったのでまたの機会にします^-^;)その答えは人それぞれだと思います。 

 

 今私が理解していることは、人は一人じゃないということ。困ったことがあれば一人で悩んでいてもどんどん不安になり悲観的になるだけなので、誰かに話すこと。それは家族や身内でなくてもいい(場合によっては家族や身内に相談することでより追い詰められたり苦しくなったりするということも経験しました。)。私は誰かに話すことで社会での手助けしてもらえる道が見えました。今の日本は福祉社会であり、助け合うことのできるシステムが存在しているということを実感しています。でもそのシステムや制度は、誰にも話さずに悩んでいたら気づけないことが多かったです。都道府県や市町村の発行している広報などで公開されていることも、自分に関係ない時には読んでも意識がスルーして気づけなかったりしていました。

 

 私は今、こんな日常を過ごしています(*^-^*)/♫。それは「ありのままの自分が幸せなことを選択して生きる」と決めたから。何が最善かはわからないけれど、両親の幸せを願って、できることをする生活は私にとって幸せなことだから。

 そしてそんな日常の中で、助け合える社会にいる幸せ、私にとって自分らしく幸せに生きていく老いていく日々はどんな日常か、私は老後どんな風に生きたいか、ということに自分として向き合い答えを出してきました。

 今はそのために今何をしていくのか、どうあるのかを、自分に問い答えを出してその人生を生きています。

 

 両親の傍にいると、せつなかったり、胸がふさぐ思いになることもあるけれど、そんなことを経験し味わいながら人の気持ちを知り、人という存在を愛しく思うので、私はやっぱり幸せものだなあと思います。

 そしてもう一つ私が気をつけている大切なことは、「自分の幸せを犠牲にしない」「無理をしない」ということ。それは今までの人生でさんざん自分に自己犠牲を強いてきた私が、2016年10月から始まった親の介護生活から得た結論です。(長くなってしまったので、これはまたの機会に綴りたいと思います。)

 

 

 

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。

 また気軽に見にきていただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

3.11追善とありのままの自分の幸せ

 私は2000年の春に初めて個展を開催してからいろんな絵を描いてきました。個展開催や企画展に参加するたびにその時々のテーマに自分として向きあって、タブローや絵本などを制作してきました。

 そんな私が九年前の今日、生命の無常さを痛感するとともに、生命の可能性を信じて自分として何をすることができるのか、思い悩みました。そして描いた作品がこの「空はあなたに続いてる」です。(東京 上野の森美術館 17th日本の美術展~全国選抜作家展~  出品)

  

  どこにいても、此方の岸と彼方の岸は遠く離れているように思えても、互いを想う気持ちは鳥が自由に空を渡るように、自由に繫がって幸せを分かち合えるという世界を描きました。生きていると、時に不安や絶望が襲うこともあるかもしれません。そんな時私は、空を見上げます。空は今のありのままの私を包み、風は淀むことなく空へかえります。どんな時も私は今ここにいて生きている。それ自体が人生の、世界の、希望であるということを、空を見上げるたびに思い出します(*^-^*)。

 

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2012.2 東京 上野の森美術館 17th日本の美術展~全国選抜作家展~  出品作品

 以前の私は、ありのままの自分ではダメだと、いつもそう思って生きていました。でも今はわかります。生命そのものが希望です。生命は誰もが持っている宝物です。その自分という宝物を大切にすることを意識するだけで、毎日が違ったものになります。

 

空を見上げて

生命の可能性は無限である

私は私の生命を大切にする

とつぶやいてみる。

その時、すんなりと違和感なく言えるなら

その自分が幸せな時間を選択していける。

 

だけどそんな言葉を口にすると、心がざわざわする時は、そんな自分に

今まで生きてきて偉かったね

明日もよろしくねと

自分を褒めてあげたい。

 

 私は今までの人生の中で、何度か大切な人との突然の別れを経験してきました。人はいつ此方から彼方へといくのかわかりません。

 

今この時

生きて空の美しさを知る

風の冷たさを知る

土の匂いを知る

それは生きていればこそ

 

私は何もする気持ちにならず、何をどう生きればいいかわからなくなった時、

ただ生きていること

それ自体が幸せであると気づきました。

 

 ありのままの私には、呼吸と同じように絵を描くことが生きること。人を、この世界を、愛することが生きること。そんな自分に気づいて、今はそんな自分を受け入れて、ありのままの自分で生きる日々を過ごしています(^-^)♫。

  私を大切に思ってくれる人は、そんな私の姿を見て、心から喜んでくれます(*^-^*)♡。

 それではダメだという人は、私の生き方を自分の鏡にして、そんな行き方を許可できずにいます。けれどもそれはその人の問題です。

 私はありのままの私を大切にして生きていきたい。それが、今を生きたかった人たちへの私からの贈り物でもあります。私の幸せは、ありのままの自分の生命を精一杯輝かせて生きること。今を生きている私の幸せを回し向けることが、本当の追善回向であると、私は信じています。

 

だから今日も明日も私は、ありのままの自分で幸せに生きることを選択して生きていきます(*^▽^*)/🎶。

 

 

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

今日も明日もあなたが元気で幸せであることを願っています(*^-^*) ♡

 

今日は国連女性の日ですね♫NY旅記録

        今日は国連女性の日、ミモザの日ですね(*^-^*)♫

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2019.3 NY国連本部内展示作品 「Each shine」

⇧これは昨年の三月に国連本部での女性の日記念展覧会に選抜され展示した作品です。NY国連本部内にある女性支援のNGO団体AAA WLC (Women's Leadership Council.inc)主催の展覧会で10点ほどを一週間展示しました。タイトルは「Each shine」です。

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2019.3 国連本部

 日本からは私が1名、世界から一週間に4名の展示で1ヶ月ほど展覧会が開催されました。私は日本から作品を10点ほど持参してNYへ行きました。

 一月に選考を通過して制作に励み、三月の展覧会でNYへ。飛行機の預入荷物制限重量とサイズギリギリの梱包にしたのに、羽田空港へ向かう新幹線の改札でガードマンに制止されたり、なんとかNYのジョンケネディ空港に午前中に到着したものの、台湾の友達と合流するのにその日の夜10時半くらいまで空港にいたりと、初めから珍道中でしたが、現地で世界中の人と交流し、女性支援の一助になれたことは、本当に嬉しかったです(*^,^*)♡。

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2019.3 国連本部内展覧会

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2019.3 NY 夕景 自由の女神

 私は今まで海外の展示は作品だけ送って展覧会に参加していましたが、一昨年(2018年)十二月の韓国での展示参加から自分も現地に参加することが増えました。このNYの展覧会では一週間滞在しました。たくさんの思い出と経験を積むことができました(^-^)

 昨年はこの三月のNYから四月韓国、七月シンガポール、八月台北個展と企画展、そして十二月にはチュニジアへ作品とともに行きました。そんな旅の中で色々な出会いがあり、様々なことを学びました。自分のこと、制作のこと、社会のこと、世界のこと、あらためてたくさんたくさん思索し、悩んで自分の中に答えを出したり、本当に多くの学びを得ました。

 

 昨年の女性の日は、女性の日記念展覧会の制作と参加を経て、女性の自立や幸福について考える機会になりました。それからのわたしは、ずっと、女性の幸せな人生や幸せな世界とはどんなものか思索し続けていました。女性が自由に幸せな世界は、皆が幸せな世界になると思います。その理由はまたの機会にお話できればと思いますが、結論として「ありのままの自分で幸せに生きることを互いに尊重していく人生」は実現できると信じています。生命の可能性を信じているから。

 どうか一日も早く、世界中の人々が「自分らしく生きたい人生を元気に幸せに生きていく世界」が実現しますように・・・。その実現を信じて、私は私らしくこれからも生命の素晴らしさを、作品の制作を通して表現していきたいと思います。

 

 

最後までお読みくださりありがとうございました(*^^*)♡

 

 

 

老後の楽しみとライフワークと至福の人生

 先日のPCでの作画初挑戦に続き今日から、ずっとしたかった油絵の制作を始めたいと思います(^^)油絵は高校の美術の授業以来。実家から高校時代に使っていた油絵の画材をアトリエに持ち込みました。ネットで注文した絵の具なども到着しました。さあ、描くぞ〜!

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ウィンザーアンドニュートンの油絵の具

 

 私は物心ついた時から絵を描いて生きてきました。それはライフワークと言われることだと思いますが、私にとって絵を描くというライフワークは、一般的な認識としての「生活(Life)のための仕事(work)」ではなく、「生きる(Life)ための制作(work)」です。

 

 私は生まれてからずっと絵を描いて生きてきました。(一番古い作品は、生後11ヶ月くらいの時に描いたものかな?母が残してくれていました。^^)生まれた時から今もずっと、草花や樹などの自然をはじめ空、光、雨や雲などの空気や水や土....地球を五感で味わうことが私の幸せです。そして五感で味わった幸せを絵や文章などにして表現することが、ずっと私の生きる術でした。

 この世界が好き、人が好き、なのに子供の頃から人の世界に馴染めなくてまわりから浮いた存在でした。それで今まで色々な体験や思いを経験してきました。

 

 そんな私が家族やまわりの幸せを優先して生き続けていくうちに、どんどん本来の自分が死に追いやられていき、ある時ついに絵が描けなくなってしまいました。それは私には死んだと同じでした。それからのことはまたの機会に描きたいと思いますが、今私は、ありのままの自分で至福の中で毎日を生きています。

 

  今私は画家として生きています。それは私が生きることは描くことだから。描くことは私にとってこの世界で生きるために空気や水と同じ必要不可欠なことだからです。イラストレーター、絵描きの仕事をするしない、生きるための収入を得る得ないということ以前に、私にとって描くことは生きることそのものです。

 

 そしてずっと忙しくて「老後の楽しみ」としておあずけしていた油絵の制作を、今日から始めようと思います。

 

 今までは子育ての合間に描くなど早く仕上げる必要があったため、油絵は乾くのに時間がかかるのでアクリル絵の具やオイルパステルなどを使って描いていました。そして油絵は、「老後の楽しみ」としておあずけしていました。でもありのままの私で生きることが、自分にも世界にとっても最善だと気づいて(なぜそう思うかはまたの機会に⭐︎)その人生にシフトした今、ずっと描きたかった油絵を始めようと思いました。

 

 私が絵を描くことは、まさに「生きるため」ですが、それは一般に言われる「財産や名誉、ステイタスを得る」といった「生きるため」ではなく、「この世界に存在することに必要」という意味の「生きるため」です。

 

 私はずっと、「絵画などの制作」と「生きること」の、関係性や意味を自分に問うてきました。その答えが、昨年国内外で展示し様々なことを感じる中で見えました。

 その答えは、私は「収入になるかとかステイタスがどうとか」という以前に「自分が幸せかどうか」が生きる上で一番大切だということです。

 

 なぜなら本当の自分の幸せな人生は自分でしか与えられないからです。家族やまわりにとって幸せでも、自分が幸せでないと自分や生きたい世界にとって意味がない。私の生きたい世界は「自分も他者も自分らしく幸せで、各々を尊重して平和に調和して生きる世界」であり、その世界には「誰かの幸せを二の次にしたり犠牲にしたりする上に成り立つものではない」からです。そして自分を幸せにできるのは自分しかいないからです。

 

 「そんな世界あり得ない、みんなどこかで折り合いをつけて生きている」という思考が一般的かもしれません。そのような考えを私は否定するつもりはありません。幸せに対する考えや思いは人それぞれだと思います。

 

 でも私はそのような思考に合わせて生きても幸せではなかった。私は、一つの生命という存在として幸せでありたい。そんな生命の存在の一つ一つが幸せに調和した世界に生きたい。だからその世界とは違う世界に合わせて生きることをやめて、生きたい世界を生きると決めました。

 

 私は人間の生命の可能性を信じています。私の可能性もあなたの可能性も大切なあの人の可能性も苦手なあの人の可能性も、信じています。お気楽、能天気、世間知らず、、、いろいろ言われてきましたが、私が今至福の毎日を生きていることは価値がある、そう信じています。その幸せを味わって、さて今から油絵に挑戦します!

 

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。

 また気軽に見に来ていただければ幸せです。

 

 

 

花陰の存在

 長年京都に住んでいながら、昨日初めて京都の城南宮へ梅を見に行ってきました(@^^@)♫

久しぶりに緑に囲まれてホッと一息、花陰に静かに微笑んで佇む存在と挨拶をかわしました。

ほんと下手ですけど、その時のイメージを描きました(*´꒳`*)描いた花は梅でも椿でもないですが(*´∀`*)=3 幸せなひとときが少しでも伝わって、幸せのおすそ分けができれば嬉しいです。

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都城南宮の梅

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都城南宮の梅

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都城南宮の椿

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都城南宮

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都城南宮

 

ニャンニャンニャンの日なので(=^ェ^=)♬うちの猫たちです♬

今週のお題「ねこ」

☆うちの実家には三匹の猫がいます。今日は猫の日なので、うちの子をご紹介したいと思います(=^ェ^=)♬今日はその中の一匹、ハチワレくんのご紹介です(^^)

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10年前に近所の公園でカラスに狙われていた子猫を保護したことがきっかけで、ハチワレくんは我が家にやって来ました。家族が猫アレルギーなので猫を飼うことを我慢していたのですが、猫アレルギー保持者の家族がこの子を公園で発見し、この子は保護→うちの家族となりました(=^ェ^=)``

それがこの絵の真ん中のハチワレくん。保護当時380グラム、衰弱していてその夜、水も飲まなくなり360グラムに。゚(゚´ω`゚)゚。夜が明けるのを待ち、翌日朝一番に再び動物病院へ。皮下に水分注射をしてもらい、プク〜っと風船みたいに膨らんで水分補給したら、すっかり元気を取り戻し、高栄養食を夢中で食べ出して、本当にほっとしました。(*´∇`*)

それからもうすぐ11年かな、現在6キロくらいあるムキムキの男前(???)に成長しました。この子はとても優しくて、私たち家族が喧嘩すると仲裁に入ってきます(^^;言い争っていると、どちらが優勢かキョロキョロ二人を見比べて、優勢な方に行って、「やめるのにゃ、やめるのにゃ」とにゃあにゃ言いながら、訴えます。この子のエピソードはたくさん、またイラストにしてご紹介したいと思います(^^)

他の二匹もユニークです。またの機会にご紹介したいと思います。

みんな、うちに来てくれてありがとうね。。(=^ェ^=)♡

今週のお題「ねこ」

「自分らしく幸せであること」って、何???

 「自分らしく」って(°_°)?

心理学では自分を見つける方法として『ジョハリの窓』が有名ですね。その他にも、IQやEQ、運動能力や色彩感覚を測るなど、様々な自分を知る方法や視点がありますよね^_^

でもそれって、標準値や社会概念ありきの視点がほとんど。それは人間は社会的存在だから当然のこと。

 

幸せであるための「自分らしさ」とは「得意なことをしている自分」?「社会に評価されている自分」? それとも「好きなことをしている自分」?私はそのどれもが時には正解、時には違う場合があること、その根っこに必要なものがあることに気づきました。

その根っこに必要なものとは「自己肯定感」、「自己受容」、「自己愛」といった「自分を受け入れ大切に思う心」のこと。

「得意なことをして」「社会的に評価されて」「幸せなはずだと思い込んでいる自分」と、「自分らしく幸せ」であることは、別物であるということに、私は最近ようやく気づきました。

 

  私は社会的な存在、〇〇が得意、〇〇で社会貢献できる、〇〇で自己実現できるetc...それ以前の、自分の社会評価や社会での役割を気にしないで、いつどんな時も本当に心からワクワクするやりたいことが、本来の自分の本質を示しているのだと気づきました。

 私が今まで「自分らしい」とか、「自分の幸せ」、「自分としての自己実現、社会貢献、達成したい人生」と信じていたものは、実は、社会や親に言われて刷り込まれてきた常識や概念からの思い込みだったのね。。

  私が思い出した「私の本質的な、本来の」幸せは、社会的、人間的な承認欲求や自己実現を必要としない、「ただこの世界(地球・自然)の素晴らしさを五感で味わい満喫すること、それらをあるがまま愛すること」。

 

  人間社会で常識や社会概念、社会通念に従って、自己実現や社会貢献をして自分の人生が心から幸せで充実感を持って心身ともに無理なく健康に過ごしている人や、そうありたい、それが幸せ、正しい人生、あるべき人生と思い込んでいる人は、私の「自分らしい幸せ」が理解できず、心配してくれたり、私を批判や否定して自分の思うように私を「更生」しようとしたり、釈然としない思いで黙って去ったり。実際そういうことがいくつもあったなあ。。

  それは私が、自分で本来の自分を忘れて、もしくは置き去りにして生きてきて、

そんな人間関係の中で生きていたから。

「本来の私ではない私」に合わせてできた人間関係では、「本来の私」は合わず、理解も共感もされないということ。

それで悲しくて寂しくて、とても孤独だった。。もう今までの自分に戻る気持ちには、なれません。。

 

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ありのまま幸せに生きる

 

  ようやく本来の自分に気づけたこと、その自分を受け入れ、ありのままの自分を愛せるようになったこと、ありのままの自分本来の幸せの中で生きたいという思い・・・。それらが、もう今までの人生を生きたくない、今までの人生に私の生きたい幸せはないという気持ちと合わさり、ありのままの私を受け入れて愛して、大切にして、ありのままの私が幸せなことを選択して生きようと心が定まりました!

  そうしたら今までの周りの人間に理解されない、共感されないことで感じていた、孤独や悲しみ、寂しさが消えて、ただ生きていることが幸せで満ち足りた毎日になりました。

 

  私はありのままの私が幸せな人生を生きると決めました。

 

  この世の中には様々な性格や価値観、常識を持った人がいる。自分の生きている社会の常識が世界の常識だと思っていることを、意識せず生きている人もたくさんいる。でも、この世の中で同じ人は一人もいないですよね。

  その一人一人があるがままで自由に幸せに生きること、それは今の世の中では簡単なことではないかも。だけどそれを実現する第一歩は「ありのままの自分で幸せに生きることを、自分が認めて許可して受け入れること」。自分自身が「ありのままの自分で幸せに生きる」と決めること。それはありのままの自分が幸せなことを選択すること。

 

  でも「そうできたらいいけど現状からして、無理だわ・・」

「そんなわがままなこと、自分も家族もまわりの人も許さない」、、、そんなふうに自分の本来の幸せを封印したり二の次にしたり、私はずっとそうして生きてきました。でもそれは幸せじゃなかった。。

 

  世界に同じ人は一人もいない。

その一人一人が幸せに生きることは

一人一人の命を大切にすること🌸🍀✨

そして自分を幸せにできるのは、自分しかいないということ。

  だから私はありのままの私が幸せな人生を生きる。私が幸せなことを一つ一つ選択して生きていく。そう決めました。

それが、社会的な存在の人間の枠に収まらないとしても。ありのままの私を生きていきます。

 

私ができる「誰も置き去りにしない社会」の第一歩は、ありのままの自分を受け入れ愛すること、その自分が幸せなことを選択すること。

 

  一人一人が「自分らしく幸せであること」が自分も他者もあるがまま尊重して

幸せに調和した社会を生む、「幸せの循環社会」を創っていく(*^o^*)

そう信じて私は「自分らしく幸せである」毎日を生きていこうと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

また気軽に見にきていただければ嬉しいです!

 

 

 

 

「常識」や「一般的」は誰のもの??

 

  私は「常識」や「一般的」な欲求が薄いです。

最近ようやく、自分のことがわかってきたように思います(^^;

 私の夢は、自分らしく幸せでいて、みんなも幸せである世界が実現して拡まることです。

一言で言うと、とてもシンプルですね。

そんなの世間知らず、夢見てるだけでしょ、現実を生きていない、、、色々なご意見があることを承知しておりますが、実際私の本音はこれなのです。

 

 私はもともとマイペースな子供でした。成長するにつれて、周りの人たちに迷惑をかけない自分でありたい、相手が喜ぶことが自分の存在価値であると、思う間もなく思っているような考えグセがついていました。それは自己肯定感や自己受容感が低く育ったためでした。そのために私はたくさんの辛い経験を引き寄せて生きてきました。

   私は それが自分が引き寄せているものだとは気づかず、自分が未熟者であるからだと思って一生懸命に目の前の課題に挑戦していました。 どんなに頑張っても自分はダメな人間、みそっかすな人間に思えて、少しでも一人前の人間になろうとしていました。家族や友人知人にも、善い人、一人前の社会人と認められたくて精一杯頑張っていました。

 

  でもある時、もうこれ以上頑張れないと、心が折れました・・・。それからの私は人生を放棄したような、うつ状態のまま死んだように生きていました。

  それでも家族が心配すると思って、表面上は元気に明るく生活していました。経済的自立を目指して仕事を頑張ったり、家族のことは大切だったので、一生懸命家族と向き合ったりフォローしたりしていました。その間に、自分を育て直すことに挑戦してきました。

 虐待、不登校、いじめ、心身の病や不調、子育て、自分育て、自己啓発、社会教育、家族との確執、DV、引きこもり、恋愛、結婚、離婚、仕事、セクハラ、貧困、、、自分や家族などの様々な課題に直面し、自分と向き合って乗り越えてきました。 その課題の多くは、自分を育て直すことで解決したり、人生が開けたりしました。

 

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自分らしく幸せに生きる

 私はもしもこれら私の人生を開いた経験が 、同じことで悩んだり行き詰まっている方の参考や少しでも手助けになるなら幸せだと思い、このブログを書くことにしました。

  様々な経験をして今私は、自分らしく幸せであること、みんなが幸せであることは可能だと確信しています。

もしかしたら私の言う幸せは、常識や一般に言われている社会的な幸せの概念と違うかもしれません。けれども「自分らしく幸せであること」、「自分も他者もその存在を互いに尊重して仲良く生きる世界」は実現可能です。(⇦こう言うだけでも、異論を唱える方、不可能だと言う方がおられると思います。。でもこれが、鬱で死にそうになりながら生きてきた私が、上記のようなことに向き合ってきての、結論です。

 

 なぜそう言い切れるのか、なぜその結論に至ったのかを、これからブログで書いていきたいと思います。そしてそれを読んでくださった方が、少しでも心が軽くなったり、ホッとしていただければ幸せです。

 

  最後まで読んでくださりありがとうございます。

  また気軽にのぞいていただければ嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年の抱負?   〜私という存在〜

  今週のお題「#2020年の抱負」

 

 あけましておめでとうございます。

 新年初めのブログなので夢や目標について書きたいと思います。

 

 今年の目標・1 このブログを充実させることを目標にします。

 

 どんなブログにするか色々考え、他の方のブログを拝見したりしました。

 ・・・皆さんすごいなぁ。。

 私もお伝えしたいことをわかりやすく、心が軽くなる、前を向く記事を書いていきたいと思います。まずは自分らしく、肩の力を抜いて。

  て、画面右横の「+絵を描く」を発見、試しに描いて見ました。

 ものすごくヘタですね。。色も着けたつもりがつけられていない。。。

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 今年の目標・その2  肩の力を抜く!

 

 を、私早速この絵で達成しましたね!

 ちなみにこれは自画像です♪

 実は、どんなふうに夢を実現したら良いか、昨年ずっと試行錯誤していました。

 私の夢は、「自分もみんなも、自分らしく元気に幸せに生きる世界を拡げる!」というものです。それは簡単なようで、私にとってはずっととても難しかったこと。その夢のために私はどうするのが良いのか、わからないまま、求められるままにみんなが喜ぶことを頑張りました。みんなとても喜んでくれて、私も嬉しかったです。

 でも、、、何かが違うと感じていました。

 それは何か。。。

 自画像・・・いえ、自己像。。(笑)

 私は人の役にたつ人間であろうとしていました。私はずっと、自分の気持ちよりも、まわりの人たちが喜ぶことを優先して生きてきました。それを昨年初めにやめよう、私の幸せなことを優先して生きようと決めたけど、人の求めに応じて「私も嬉しいし、やってみよう」という思いで、人の求めに応えようとする中で、自分にとって一番幸せなことを二の次にする毎日となりました。

 その結果、みんな人間らしい幸せを求めているけど私にとっては興味のないことであったり、重要と思わないことであったりする、、、ということに、気づきました。お金を儲けること、自分を高く評価されること、名誉なこと、有名になったりステイタスを得たり、、、どれも私には興味のないことだと気づきました。

 

 私は、ありのままの自分を受け入れて愛することができた時、ほとんどの願いが叶いました。それまで満たされない思いがあったのは、ありのままの自分を受け入れられず、愛せず、大切にできなかったからでした。

 ありのままの自分を受け入れ、愛せたとき、まわりの人たちのこともありのまま尊重できる自分となりました。自分と向き合う中で、私はどんどん満たされ自由になりました。

 だから今は、自分個人の人生は満たされていて、これからの人生は、こんな自分の人生が誰かの希望になることが、私の本望だと思っています。

 私は長い間、自分のことや家族、友人知人、世間のことで悩んできました。そんな私が、今は全てに満たされた思いで日々幸せを味わって生きています。それは、宝くじに当たったとか、突然何かに恵まれたとかではなく、私の心が変わったからです。

 そして私は、本来の自分がどんな存在なのかに気づきました。

 昨年は、自分がどういう存在なのか確信がないまま、人の希望になる人生を生きようとしていました。だから人生に違和感があったのだと思います。

 

今年の目標・その3  理想の人間をやめる!

 

 長い間、人の役に立つ自分になりたくて理想の自分を目指していました!

やめました!! というか無理!!! と、自覚しました!(笑)

 

 

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 ☆ここで言う「理想の人間」とは、常識的な、一般的な思考、欲求をもつ「人間」のことです。

 この「常識」や「一般的」と言う概念もその内実は、国や地域、境遇や境涯によって違うんですけどね。

 

 どうも私はその「常識」や「一般的」な思考や欲求が薄いのです。

 私の幸せや喜び、、、長くなってしまいましたので それはまたの機会に。。

 

 最後まで読んでくださってありがとうございます。

 また気軽にこのブログをのぞいてみていただければとても嬉しいです。

 

 

自分らしく #夢 #抱負 #新年