私らしく幸せなこと介護と老後と
先日ふと自分の気持ちに気づいて涙がでました。
昨日は母の病院での診察の付き添いと、老健施設にいる父の面会に行きました。両親は今、それぞれ別々の老健施設で暮らしています。私は週一ペースで、両親の洗濯物の交換(洗濯済みの着替えを施設のタンスに仕舞って、洗濯物を持ち帰ります)と両親の様子を見るために、それぞれが暮らしている施設を巡ります。冬は洗濯物がかさばり重いので大変です(><)""。でもそれは父も母も元気で生きていてくれればこその大変さであり、幸せなことだなあと思います。
先日ふと、そう思える私になったんだと気づいて涙が出ました。
私は大人になって自分のことを客観的に見るようになってから、両親に対して複雑な思いを抱えていました。私はずっと母との関係に悩んでいました。母のせいで自己肯定の低い、生きづらい自分になったと思っていました。父に対しても大人になってから「子供が虐待されているのを目の前にしていてなぜ助けてくれなかったのか」など、男性不信の元になる想いも抱えてきました。
私は大人になってから、ありたい自分と、生きたい自分の人生と、心の奥底にある自分の想いとがバラバラな中、自分と向き合い、自分の心の奥底にフリーズしていた想いを発見し、そこに向き合って自分を受け入れありのまま認めて、自分を抱きしめて愛して自分を育て直してきました。
そんなある日、両親をありのまま受け入れて幸せを願う自分になっていることに気づいた時、私は本当に幸せだと思えました。両親も完璧ではない、一人の人間であることを認めて、母なりに父なりに一生懸命私を育ててくれてきたことに感謝と人としての愛おしさを感じました。
私の両親は元気な頃、自分の子供(私)に世話にならないようと毎日たくさん歩いて食事や生活も健康に気をつけて生活していました。それで長らく自宅で両親二人元気に過ごしていました。
けれど母が認知症を発症、父は心臓が弱り心不全で入院したりして、両親共に自宅で生活することが困難になっていきました。初めは自宅で生活できるように自宅を改装したり、ケアマネージャーと相談しながらデイケアの施設を利用するなどしていましたが、今では両親それぞれが快適に安全に過ごせる施設で生活しています。
実際のところ、施設利用のための支払いや、洗濯物や家の管理維持、両親の郵便物や資産管理それに伴う諸々の手続きや支払いのほか細々とした雑務など、日常の中でなんとなくのストレスがずっとあります。今の高齢化社会では私のような思いをしている方や、私よりも大変な思いをされている方もたくさんおられると思います。
両親の状態は1,2ヶ月で変わったりして、その都度親に合わせたケアやフォローを思案しています。親の変化する状態は私には初めてのことばかりで、どう対処することが本人にとって一番幸せなのか毎回悩みます。そしてそれが本当に本人にとって幸せで最良なのかわかりません。けれども毎回、ケアマネージャーや施設や役所の人の助言などで、手助けがあることを知り、救われています。日常両親のフォローをする中で、私の知識や経験だけでは思いつかない知り得ないことがたくさんあります。
施設に入らず私が親を自宅で見ることも考えました。だけど両親ともそれぞれの理由で、自宅よりも施設で暮らす方が安全安心快適で、本人も幸せだという結論になり、両親ともできる限り施設でお世話になることにしました。私のわがままかもしれませんが、私は少しでも両親に元気で長生きしてほしいので、そのためには施設の方が良いと判断しています。以前は両親とも自宅でのんびり過ごしたいと言っていて、私もそのために努力していましたが、今は両親とも体力気力が衰えていて、父は自宅では無理だと理解しています(でも本当は自宅で過ごしたいのかもしれません・・・)。母は認知症のためよくわかっていませんが、以前のように自宅へ帰りたいという発想がなくなっているようです。
そんな日々年老いていく両親を見ていて、自分はどう歳をとっていきたいのか、今できることの何をどう生きていきたいのか、年老いて体が不自由になったとしたら私は何をしていれば幸せなのか、認知症になった時に私はどうあれば幸せなのか、様々考えそのために今どうすればいいのか思案しています。そして最近その一つ一つに答えを出しています。(具体的に書きたかったけど長くなったのでまたの機会にします^-^;)その答えは人それぞれだと思います。
今私が理解していることは、人は一人じゃないということ。困ったことがあれば一人で悩んでいてもどんどん不安になり悲観的になるだけなので、誰かに話すこと。それは家族や身内でなくてもいい(場合によっては家族や身内に相談することでより追い詰められたり苦しくなったりするということも経験しました。)。私は誰かに話すことで社会での手助けしてもらえる道が見えました。今の日本は福祉社会であり、助け合うことのできるシステムが存在しているということを実感しています。でもそのシステムや制度は、誰にも話さずに悩んでいたら気づけないことが多かったです。都道府県や市町村の発行している広報などで公開されていることも、自分に関係ない時には読んでも意識がスルーして気づけなかったりしていました。
私は今、こんな日常を過ごしています(*^-^*)/♫。それは「ありのままの自分が幸せなことを選択して生きる」と決めたから。何が最善かはわからないけれど、両親の幸せを願って、できることをする生活は私にとって幸せなことだから。
そしてそんな日常の中で、助け合える社会にいる幸せ、私にとって自分らしく幸せに生きていく老いていく日々はどんな日常か、私は老後どんな風に生きたいか、ということに自分として向き合い答えを出してきました。
今はそのために今何をしていくのか、どうあるのかを、自分に問い答えを出してその人生を生きています。
両親の傍にいると、せつなかったり、胸がふさぐ思いになることもあるけれど、そんなことを経験し味わいながら人の気持ちを知り、人という存在を愛しく思うので、私はやっぱり幸せものだなあと思います。
そしてもう一つ私が気をつけている大切なことは、「自分の幸せを犠牲にしない」「無理をしない」ということ。それは今までの人生でさんざん自分に自己犠牲を強いてきた私が、2016年10月から始まった親の介護生活から得た結論です。(長くなってしまったので、これはまたの機会に綴りたいと思います。)
最後までお読みくださりありがとうございました。
また気軽に見にきていただければ幸いです。