京都で幸せ妖精ライフ

京都生まれ京都育ち。京都ならではの環境の中、ありのままの自分で幸せに生きるお花畑人生を綴ります(^^)日常の気づきのほか、海外、旅、猫やその他の生き物、自然との感動など、ありのままの自分が感じる感動や幸せ、気づきを皆さんとシェアできれば嬉しいです(^^)♡

自己肯定自己受容の幸せな人生へ

 「あなたはどうしたいの?」(・∀・)

  はじめに、私の作家仲間であるAさんの人生を少しご紹介したいと思います(^-^)。

 Aさんはとても素晴らしい絵を描く人です。Aさんは数年前から家庭の事情で作品の制作を控えてサラリーマンとして務める仕事をしています。

 不本意に仕事と生活が変わり、Aさんは仕事にも家庭にも不満を持っていましたが、あることをきっかけにそんな自分を変えようと決意し、仕事と家庭に向き合い、自分の思い描く良き社会人、良き夫、良き父親になるべく挑戦しました。

 その結果、今彼は不満を持っていた仕事にも家庭にも感謝して取り組めるようになりました。彼は自分に向き合い、不満に思うことと対峙して、不満を感謝に変えることができました。仕事も家庭も子育ても精一杯努力して、悔いなく誠意を尽くしていると自負できる自分になりました。ただ、彼は今心身の病にかかり辛い日々を送っています。それでも「自分の幸せは自分で決める」と決意して今もその人生を精一杯生きています。自分の大切な家族を守るために。子供と過ごす幸せな人生のために。

 

 皆さんはこの彼の姿をどう思われるでしょうか?「自分の苦手なことに向き合い挑戦してやりきった彼は素晴らしい。大したものだ。」と思われる方も多いと思います。

 

 人はどう生きるのもその人の自由です。どんな人生を生きるのも自由です。その上でみんな元気で幸せな人生を生きたいと思うことは、人の自然な気持ちだと思います。Aさんも自分の決めた人生を生きています。自分の決めた人生に精一杯挑戦したことは彼の人生の誇りでしょう。

 ところで彼はなぜ今心身を病んでいるのでしょうか?もともとそういう体質でしょうか?それは私にはどうだと断言できません。けれども病むことには大抵原因があります。病む箇所を酷使したり無理を強い続けると人は病むことが多いです。この場合の酷使するというのは身体の部位を物理的に酷使するだけでなく、そこに連動する心の負荷による酷使も含みます。(例えば緊張を強いる日常の中で胃潰瘍になるなど。)もしかするとAさんも自分自身で心当たりがあるのかもしれません。心当たりがなく突然倒れることもありますが、それは自覚なく無理を強いてきた結果であることが多いのではないでしょうか。

 Aさんは仕事も家庭もできうる限りの真心を精一杯尽くしてきました。そんなAさんの努力の結果が今なのだから、これからただ自分を大切にすることを選択することで、健康な最善の人生が訪れると思います。幸せの基本は生命を大切にすることだから(*^-^*)。

 

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懐かしい場所で待ってる

 

   ありのままの自分の志

 私は以前、本当の自分を抑えてDV気質の夫ととの生活を自分に強いて、「あるべき自分」「ありたい自分」であろうとして努力していました。本来の自分を否定して(ありのままの自分は世間では認められない未熟な自分だから、きちんとした一人前の人になるために努力しなければならない。良き母、良き妻、良き娘、良き社会人であるためには、ありのままの自分ではだめだと、無意識に考えていました。)、生きることに疲弊して身動きが取れなくなっていました。そして自分らしく息をすることさえできなくなっていました。「人に喜ばれる作品、人に必要とされる作品を描かねばならない」と思って、作品も思いのままに描くことができずにいました。パニック障害の症状が現れ、心も体も私に限界を訴えていました(><)""。

 

 そんな私が人生を変える決断をして、ありのままの自分で幸せに生きると決めました。それからの私はもう無理をしたり、「自分の幸せや健康を二の次にすること」を受け入れることをやめると決め、ただ「ありのままの自分で生きること」を心がけて一日一日を生きると決めました。

 その後、ようやく自分としてどう生きていくことが「これからの人生を価値的に生きていくことなのか」に思いを巡らしました。そしてこれからの人生を「自分も他者もありのまま幸せに生きること、それを互いに尊重して仲良く生きる世界」を広めるために生きようと決意しました。

 それから間もなくしてニューヨーク国連本部内での「女性の日記念展覧会」に出展する話が来ました。展覧会の趣旨が、私の伝えたい思いと同じだったため、出展に応募し審査を通過して三月に作品とともに初めてのアメリカ本土ニューヨークへ行きました。その展覧会のパーティーでショートスピーチをする機会があり、現地で原稿を考えて用意しました。その原稿記事は地元新聞社の取材とともにインターネットでも紹介されました。その後も昨年は様々な国で個展や展覧会参加をして国際交流を深めました。

 

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        2019.8    At a solo exhibition in Taiwan

 

   本当の自分の価値観や幸せ

 その中で私は何度か自分と向き合うことがありました。

 それは「日本、京都で生まれ育った自分」、「今までの生まれ育った環境や生きてきた社会などから身についていた自分の物の捉え方や常識」、「日常での自分の身の置き方、振る舞い方、価値観」などにあらためて気づくことでした。

 私が躊躇することなく普段と同じように振る舞い、物事を判断し、発言する(あるいは発言しない)ことが、相手(海外の現地の人)には不思議に感じられたり理解されない、時には誤解を招くことがあったのです。それは今まで生きてきた環境の中で意識せず身についていた価値観や常識などが通用しないためでした。

 日本の中では当たり前のことが通用しなかったり、逆の意味に認識されたりということがありました。そんな中で一番問われたことが「あなたはどうしたいの?という問いでした。それは仕事の方向性の話の時もあれば、プライベートでどうすることが自分の希望に添うのか?といったことなどでした。

 私はその時に自分の日常の生き方、振る舞いの癖に気づきました。

 それは、私は「 "自分はどうしたいのか?"ということに思いを巡らせることなく、" 私がどうすればみんなが幸せ(満足、嬉しい)か " ということで自分の言動や振る舞いを決めようとしている」ということでした。

 その思考や気持ちで相手に返答すると、相手は " よくわからない " という (時に不満げな)表情をして、私にあなたはどうしたいの???と問いました。

 そんなことが重なり、私は「もう自分の幸せを二の次にしない」と決めていたのに、生き方の癖で無意識に「自分の気持ちや幸せよりも周りのことを優先している」ということに気づきました。 

 また、私をありのまま受け入れて尊重してくれる人は「私が希望することを叶えてあげたいと思い、私が幸せであることで相手も幸せ、満足である」ということにも気づきました。

 私の希望を聞いて、自分のしたいことと合わないときは、どうすればお互いが満足するかを思案してくれました。無理な場合は「自分にはそれは無理。だけどこうならできる。」と提案してくれました。それはお互いを尊重し、共に幸せでありたいという気持ちからの言動でした。相手を自分の意に沿わそう、または相手に合わせて無理をするというような作為的な思いからの言動ではなく、自立した人と人との交流でした。

 

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自分らしく呼吸する

 

 ありのままの自分が幸せに生きることが人生の価値

 それから私は改めて自分の人生を見直しました(^^)♪。

年頭に立てた自分の志から始まった海外交流。志は私の本心からのもので、偽りも無理もありません。その「志」を遂行する以前の「 " 本来の自分 " の幸せとはどんなものか」に、私はようやく目を向けました。本来の私の性質は今まで自分に向き合い気づいていましたが、本来の自分は何が幸せなのか、「生まれてきた意味(何をなそうとして生まれてきたのか)」「私という存在としての生きる意味(幸せ)」は何か、ということに、「ありのままの自分で幸せに生きる」と決めてから初めて思い巡らしたのでした(^^;)。

 

 そして私は、「日本人として必要な幸せ、京都で生きる自分として必要な幸せ、家族の中で必要とされる自分の幸せ、言い換えるなら、日本で幸せとされる人生に必要なあるべき自分、京都で円満に生きるために必要な自分のあり方、家族みんなが満足する自分のあるべき言動、姿、」といったものを無意識に判断してそれに合った自分の幸せを、「本来の自分が幸せな生き方であり価値のある人生である」と思い込んでいたということに気づきました。

 私は、「ありのままの私の幸せなこと、それはただ自然と愛する人と共にあること。地球の自然と愛を味わい共に生きること。それが私の幸せであり、この世界に生きる意味である」ということに気づきました。

 

 ある人は父親が家族を守り強く立派であることを見習い、自分もそうあろうと努力します。

  ある人は自分はムラ社会の一部であるから勝手なことは許されない、自分の幸せなど考えても仕方がないと、どこへ向けたものかもわからぬ怒りの中で生きています。

  またある人は、トップが変わると従うべき考えや正義も変わるから、自己主張せずに上の顔色を伺って生きることが賢い生き方だと信じています。

 

 それは、本来自分が望んでいる生き方でしょうか?

 それは本来の自分が幸せを感じることでしょうか?

 人は知らぬ間に今までの常識を自分のそれと信じて生きていることが多々としてあります。

 深く考えずに、自分の感受性を鈍らせて生きる方が、日々に波風を立たせずに生きていける、処世術であると考える人も多いでしょう。

 

 けれども、それで本当に自分は幸せでしょうか?無意識に我慢を重ね、本当の幸せを諦めているなら、それは気づかないまま心身に無理を強いて、病や不調をきたすことがあります。それは自身の心身においてだけではなく、周りとの関係においても、不和や不自然なバランスを生む原因にもなります。

 

 東洋思想の言葉に「衆生所有楽」という言葉があります。人は本来この世界を楽しむために生まれてきたということ。また「桜梅桃李」という言葉もあります。それはそれぞれがありのままの自分で幸せに輝いて生きる世界を説いた言葉です。

 ただ自分らしく幸せを味わう、それを互いに尊重し与え合うことで幸せが増幅し世界にひろがり輝く。「人の役に立つから生きる価値がある」のではなく、「何か価値のあることをするから人生に価値が生まれる」ということでもなく、ただ「自分らしく幸せに生きること」が世界の希望となり、お互いにそれを尊重することで、協力して調和した平和な世界が広がっていくということです。

 

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さあ、どこへ行こう?(2019.7 In Singapore)

 

 無限の可能性を信じて

 現実を見るとそんな世界の実現は夢物語のように感じるかもしれません。でも人は、生命は、本来そういうものであると私は思います。それで今までの生きづらさの理由、なぜ苦しい思いをしてきたのかということもわかりました。

 ただ自分として幸せなことを受け取り味わうこと。それを一人一人が自分に許可し、他者のそれも尊重する世界が広がることを願って、私はこれからもありのままの私の幸せを受け取り、世界にシェアして共に幸せに輝いて生きていきたいと願っています(*^-^*)♫。

 

 

  私がありのまま、ただ幸せでいることを、私を愛する人は喜ぶということ。

 

  私が無理をして与えようとすることを、私を愛する人は喜ばないということ。

 

  人はただありのままで存在することで、誰かの希望の光となる。

 

  ただ自分らしく幸せでいることが、誰かの喜びとなる。

 

  人はただ生きているそれだけで価値がある。

 

  幸せは人それぞれ、ありのまま幸せに生きることが、世界を自由で豊かにする。

 

 

 人には無限の可能性があります。今はもう立ち上がれない、これ以上前に進めない、、、と思う時もあります。けれども人には無限の可能性がある、ということを、私は自分の人生を通して実感しました(*^-^*)♡。ほんの三年前の私は、今の私を想像することもできませんでした。自分らしく息をすることさえできずにいた私が、自由に思いのままに動き、本当の自分を取り戻し元気に幸せに生きている、、、。人は変われる。人には無限の可能性がある。私は今、そう信じて幸せに志のまま生きています。

 

 

 思いのままに綴りました。みなさん人それぞれの考えや感じ方があり、それぞれの心が様々に反応すると思います。それがありのままの自分の幸せを知る、確認することの手助けになれば幸せです。「あなたはどうしたいの?」という問いかけの答えは、それぞれの心の中にあります。

 

 

大変長文になりました。。最後までお読みくださり本当にありがとうございました(*^^*)♡

 

にじいろ羊より 愛を込めて、、、。