DVモラハラ家庭と幸せ妖精ライフの選択
☆自分の選択した人生を生きている
私は今、自分が決めたことをして生きています。
それが他者が決めた規則に従うことだとしても、それに従うと決めて、決めたことに即して生きているのは自分自身。
たとえそれが不本意なことであっても、それに従うと決めて従っているのは自分自身。
不本意なことを強要されて従うことでしか生きていけない状況は、あってはならない人権侵害の状況であり、それは個人の問題ではなく社会全体で解決すべき問題です。
それでも、社会に協力を求めずに黙って従うことを選択して生きることは、自分自身が選択している人生です。それは自分で自分の人権を侵害する行為です。
私は以前、そのようなことを考える余裕もないくらい病んでいました。それはすぐキレる夫との生活の中で、いかに子供に「安心して暮らせる時間を提供できるか」に心を配ることで心身が疲弊しきっていたためでした。
私はあることがきっかけで、自分に向き合い、自分の人生を見直しました。
人権は何のためにあるのか。それは人が幸せに生きて、社会が平和に調和するために必要であるから存在します。
人は本来、この世に生まれて幸せにこの世界を楽しむことが本望です。
私はあることがきっかけで、自分に向き合い、病んでいた自分の人生を見直しました。
人生には会いたい人や、自分の乗り越えたい課題を共に乗り越える人、自分の鏡になって課題を示してくれる人などとの様々な出会いがあります(^-^)。出会うことは選べなくても、その人と付き合うか付き合わないか、付き合っていくならどういう付き合いをするのかは、自分が決めることができます。相手に合わせて付き合うことが常である人も、その生き方、そんな人付き合いをすることを(無意識にでも)選択して生きています。
それらのことを意識せずに、何となく反応して生きていると、他者や社会の流れに流されて生きる人生となります。自分の人生(日常)を無意識に受け身で生きるとそうなりがちです。
それで幸せに生きていけているなら、何も問題を感じず生きていけますが、大抵の人は何かしら日常の中で不満や我慢を感じることがあると思います。
その不満や我慢がどういったことに対して起こるのか、どんな状態の時に感じるのかを観察してみると、自分の課題が見えると思います。
なぜ不満に思うのか、それに対してなぜそう(怒りや悲しみ、失望の気持ちなど)感じるのか、そこには自分なりの価値観があります。自分の価値観に合わせて目の前の事柄や人を判断(ジャッジ)しています。
ではその判断(ジャッジ)の基準はどこから生まれ、自分の中にいつからあるものなのか?(。・ω・。)
社会の常識、親がそうだった、人生の経験から学んだ、自己認識や自己評価からの判断、、など様々あると思います。多くの人は、それらを自分の善悪や価値判断の基準にしています。
では、その判断で、自分は幸せだろうか?
その判断によって不満や我慢の気持ちが起こるなら、それは幸せを感じることではないでしょう。
それを「仕方のないこと」にして、ずっとその人生(日常)を生きていくのか、それとも、「なぜその判断に従い現状に甘んじるのか」自分に向き合って、生きたい人生(日常)にシフトするかは、自分自身が決めることです。
このように私は自分と向き合い、自分の心を見直して、生きたい人生にシフトすることを決意しました。
☆自分に向き合うということ
自分に向き合うことは勇気が必要なことかもしれません。良くも悪くも人は変化することを怖れる傾向があるからです。けれども自分に向き合い、自分の選択している物事を一つ一つ自分の幸せに合わせて調整することで、人は自分らしく幸せな人生(日常)にシフトすることができます。
今まで思い込んでいた常識や社会概念、親から言われて信じてきたことなど、、、
それはいつ誰の判断から生まれたものなのか?
本当に自分の幸せのためにあるものか?
自分の人生経験からの学びと思い込んでいるそれは、今の自分でもその結果や結論になるか?
思い込んできた自分の価値基準を見直すことで、新たな発見があります。
大人になった今の自分が、自分の幸せに必要な物事にフォーカスすること、
その必要な物事の価値基準そのものを見直すことは、本来の自分の生きたい人生や本来の自分の幸せを再認識することにつながります。
再認識した自分の幸せな人生(日常)、幸せな社会、そのためにあるべき常識や自分個人の意識や価値基準(例えば人権を保つことは個人の幸せに必要不可欠です。それを自分は堅持する必要があるなど)を意識して、その新たな意識で不満や我慢を感じる物事をどう捉えるのか、どう対処するのかを認識し直すことで、生きたい人生にシフトしていくことができます。
そうして私は、自分の生きたい人生にシフトしました。それは自分の生きたい人生の幸せに責任を持つことでもありました。自分が選んだ人生、自分が幸せに生きることも自分の選択で決まります。
周りの常識がどうあれ、社会がどうあれ、自分が健康で元気に幸せに生きることは、自分の人としての権利であり、本来の人としての本望です。
もしもそれを認めない社会や周りの人たちに囲まれていたとしたら、変わるべきはそちらの存在です。
けれどもそれらがすぐに変わる状況ではなく、なおかつそこに留まりたい(一緒にいたい)のであれば、それらに合わせて生きることも個人の自由です(それが自分自身の幸せやみんなにとって最善であるかは別です)。
私は長らく自分の幸せよりも周りの幸せを優先して生きてきました。自分が人や社会の役に立つことで、自分の生きる価値を認めていたからです。本来、人は生きているそのままで素晴らしい存在であることを子供に伝えたかったのに、自分自身がそれとは逆の自己犠牲の人生を生きていました。
社会や周りの人のために自分があるのではない。人が健康に自由に幸せに生きるために社会は存在し、周りの人とお互いにそれを尊重して生きることが、個人の幸せと社会の平和で調和した世界を実現します。
自分はどんな世界に生きたいか、自分はどんな自分でありたいか、自分はどんな人生(日常)を生きたいのか、それを自分の価値判断から見直して明確にすることは、自分の幸せな人生と平和な社会へシフトするための、大きな初めの一歩になります。
☆幸せに生きる決意をすること
私は、親や社会の常識や決めつけの中で生きてきました。そして本来の自分は「ダメな自分」であると思い込み、社会の常識に合う自分を目指しました。それは本来の自分を否定し、自己評価の低い自分を生み出しました。
けれどもある日から私は、そんな自分と向き合い、自分の価値観などを一つ一つ見直し、自分を育て直してきました。そして今私は、ありのままの自分を受け入れ自分らしく幸せに、周りの人たちと仲良く健全な日常を生きています。
私がそんな自分になれたのは、私が日本に生まれ自分と向き合う(心身ともに)余裕のある社会で育ち、自由に書籍などを利用して先人の知恵や世界の状況などを見聞することができたことが大きいと思います。
現実として、生まれながらに自分で生き方を選択できない状態の方や、自分に向き合うとか価値観を見直すとかそんな余裕のない、今を生きることで精一杯の方も、日本であれ世界であれたくさんおられます。
だからこそ、少しでもそれに向き合い、幸せや平和を生むことが、自分の役割であり本望であると、私は信じています。
私の恩師の言葉に「大学は大学に行けない人のためにある」という言葉があります。
人は社会性の動物です。自分だけが幸せな世界は存在しません。
そして人は他者の幸せのために生きることで強くなり、幸せを感じる生き物です。
そんな本来の人として幸せに平和な世界で生きるために一番大切なことは、「本来の自分の幸せを確保する決意」です。
何故ならば、どんなに周りや社会が、「幸せのために必要なこと」を提供しようとしても、それを認識して受け取れる自分でないと、「自分として幸せに生きること」ができないからです。
☆自分の大切な人のために
私は自分のため、そしてこの瞬間を生きることで精一杯の人のためにも、「自分らしく幸せに生きる人生」を生きて、その世界を発信していこうと思っています。
社会の平和も、地域や職場、家庭の平和も、自分自身の心から変わります。
心こそ大切なれ。
だから私は今日も自分に向き合います。そしてこの拙いブログも誰か一人でも必要とする人にこの思いが届くことを願って発信しています。
これは私自身の生きてきて得た人生の教訓でもあります。
幼い頃からの家庭環境からの自己評価の低さ、自己否定、自己愛の低さ、様々な「自分らしく幸せに生きる」ことを否定する観念が、私の常識になっていました。大人になって大学や社会で学び知った知識から「私の思い込んでいる私は、生まれ育った環境からすり込まれたものである」ということに気づき、自分と向き合い自分自身を育て直しました。
それでも無意識に判断している日常の出来事は、自分の幸せを二の次にしていました。
自分の新たな家庭を持ち、夫のDV、姑からのモラハラなど様々なことに耐えながら子育てする中で私は病んでいきました。
けれども、大切な人のために、その存在に「幸せな人生」を示すために、このままではダメだ、変わろうと決意しました。
そして私は自分自身に向き合って、「自分らしく幸せに生きる人生」にシフトしました。
自分のためだと諦めてしまう人生も、大切な人のためなら諦められず、人生を変える決意と実行ができました。
人にはそれぞれ物事の捉え方や感じ方があると思います。私のこの記事を読んで反応した自分の気持ちに目を向けていただければ、ご自身の感じ方や考え方に気づく手助けになるかもしれません。
みんなが元気で幸せな、自分らしくリラックスして周りと仲良く調和して生きる世界が、少しでも拡がることを願っています。
拙い長文を最後までお読みくださりありがとうございました。